20231018

 

誕生日が近づくとどうしたらいいかわからなくなるくらい胸がいっぱいになって、全部が特別で嬉しくなれる。なんて不思議でなんて幸せなことなんだろうと思う。

0:00になった瞬間、電波に乗って放たれるまふまふさんに向けられたたくさんの想いに触れると自分のことのように嬉しくて、涙が溢れて、その一つでも多くがまふまふさんに届くといいなと思う。


もうこれ以上書くことないなと思うくらいその時抱いた感情は言葉を充てることができる限り、全て書いてきた。見返せないような野暮なこともたくさん書いた。この宝物のようなきせきをとにかく忘れたくない一心だった。

こんなに大事な日なのにいざ迎えると何を書いたらいいのかわからなくなって、もう一時間で今年の10月18日が終わろうとしている。思いが次から次へと溢れてたぶんこれは誕生日が終わってしばらくするまで続くのでもう整理するのは諦めて、上手く言葉にできなくても、それでもやっぱり今日は大切な日だから。

 

 


いろんなことがあったなと思う。大きなことも小さなこともどれもが大切で生きる喜びだった。ただ好きだという気持ちだけで、確かに重ねてきた日々が今こうして振り返った時にこんなにも大きな宝物になっているなんて思ってもみなかった。自分ではない誰かの人生追いかけることがこんなにも幸せなのだと知った。何気なく振り返った過去ががこんなにも煌めいていて嬉しいなんて。

 

見えない部分が多いと、思いばかりが募って余計なことを想像して心配したり語ったつもりになって気持ちよくなったり優越感に浸るための縋る手段として消費しようとしてしまっていたり。そしてそれらを見えないところで謝って許されている気でいるような愚かなことをしてしまう。

そんなに頑張らないでって何度も思った。立ち止まれないような目まぐるしいスピード感で生きる姿。情報を急かす声に「ごめんね」って謝っている時や倒れてしまった時。本当は立ち上がれないほど心身ともに破壊されたような状態で、それでも点滴を打って、元気の前借りをして、ぎりぎりの状態でやりきった初の東京ドーム2日間。罪を着せられるような日々が続き、こんな理不尽なことは無いのに、それでも「ちゃんと証明できてから胸を張って活動したい」と長い期間水面下でたたかっていたこと。

見えてない部分が多いから、本当はもっともっといろんなところで頑張っているんだと思う。その多くを最後まで知ることはできないのだろう。だからせめて、何も知らないのに、いや何も知らないからこそ、頑張らないでって簡単に言うことはやめにしようと思う。

 

わたしはまふまふさんを好きになった当初、誤解されることが怖くて誰にも話さず隠れて応援していた時があった。「自分ひとりで好きを大事にすればいい」と誰にも傷つけられないように少し塞ぎ込んできたこと。でも本当はずっとわかってほしかった。こんなに素敵な人に出会えたこと。わたしが見てきたきせきを誰かにも見てほしかった。こんな人がいるんだよ、こんなに凄いんだよ、ここが良いんだよって伝えたかった。

それが今叶っている。その幸せも全部まふまふさんに教えてもらったな。それはまふまふさんが今日までずっと頑張り続けてくれたおかげで、証明してくれたおかげだ。まふまふさんのおかげで生きていることがこんなにも幸せです。もう大丈夫だ。

 

 

 


ライブ映像を見ながら記憶のメリーゴーランドみたいなものが脳裏で動き出して、巡ってくる記憶のどれもが大切すぎて涙が溢れた。わたしの人生がこんなにも忘れたくない出来事で溢れていて、誰にも譲りたくないと思える想いがあるのは、大切で大切でたまらないのは、全部まふまふさんに出会えたからだ。そう思った時、終わらないでほしいと強く思ってまた涙が溢れてしばらく止まらなかった。

まふまふさんのおかげで頑張ろうと思えたことがたくさんある。頑張る理由になったことがたくさんある。頑張ってよかった、生きていてよかったと心から強く思えた日が何度あっただろう。

まふまふさんがいなかったら乗り越えられなかったことがたくさんある。大丈夫だと踏ん張れたこと。本当にたくさん助けられた。こんなにも力になるのだと知った。

 

 


2023.10.18

過去を繋いで、迎えた今日。明日からの日々はどんな過去になっていくんだろう。今日がずっと遠い過去に思えるくらい、続いていけばいいな。遠い未来で今日を振り返れますように。

自由に、やりたいことを思う存分やれますように。あなたの歩く道がどうか優しい光の差すあたたかい場所でありますように。幸せでありますように。

 

誕生日おめでとうございます。

“生きる”を選び続けてくれてありがとう。

ずっと、頑張ってくれてありがとう。


何一つ忘れません。大好きです。