430年

 

手紙を書くときの、宇宙みたいな感情から伝えたいひとつを掬い取る難しさが好きだ。届かないかもしれない手紙を書くことが好きだ。心に留めておくだけでは決して届くことはない気持ちを言葉にして綴る。畳んで封を閉じてもう書き直すことも書き足すこともできないとき、願っている。届きますようにと自分の手から離す時の、あの瞬間だけの寂しさが好きだ。

ジェミニを聴き終わった時、手紙を書いているときの気持ちを思い出した。

 

夜空を見上げて輝く星たちを見て、「それを繋げて物語を」なんて誰が思いついたんだろう。その人にとってその夜はどんなものだったんだろう。どんな日の夜にそれを思いついたんだろう。

幼い頃、展示会に向けて何でも作っていいと大人に言われてプラネタリウムを作ったことがある。大きなダンボール箱を組み合わせて作った幼稚園児が2人入れるくらいの小さくて大きいプラネタリウム。鍵も作って取り付けた。自分だけの夜空にしたかったのかもしれない。

 


2025.11.02

午前中、連番がプラネタリウムに行こうと誘ってくれた。

「死者は星になる。だから、きみが死んだ時ほど、夜空は美しいのだろう」という詩とともに始まった夜空に、暫く涙が止まらなかった。それが好きなひとの誕生日を祝いに行くその日のことであるということ、何一つ偶然ではない。

死んだら、過去も未来もなくなるのだろう。

わたしがこうやって書いていることも全ては想像で、想像は、想像でしかなくて本当に彼らが見ている景色や願ったことに近づけているかはわからない。それでも、考えていたいなと思う。この世の中には素敵なものに溢れていて音楽という表現する手段があって、表現には創り手の願いがある。

その全てを知ることはできないことが美しいなとも思える。

 


光がわたしたちの目に届くとき。すなわち光が"光っている"のだとを確認できるまでの時間はそれぞれで、北極星からの光は430年かけて地球に届いているといわれる。

たとえば、After the Rainが430年かけてわたしたちの目に届いているとしたら、と考えた時、納得できるなと思った。After the Rainが430年前に宇宙で旅を始めて、それが今見えている。そう言われても信じられるくらいAfter the Rainが届ける音楽、言葉、思いは時代関係なく届くやさしいものだと思う。

「やさしい冒険」を書いた時、わたしがおばあちゃんになったらAfter the Rainという奇跡みたいな本当の物語を小さな子に読み聞かせたいと思った。そうやって自然と思うくらい、遠い未来でもやさしく真っ直ぐに届く光だ。

 


星が瞬くのは星自体が瞬いているのではなく、空気の揺らぎによるものらしい。ある時、星がきらきら瞬くのが心臓みたいだと思った。鳴ったり止まったりするから生きていることがわかって、そうやって信号を送っている。でも、それは自分が独りじゃないから。誰もが周りと影響し合っている証拠だと思う。だから生きている姿はきらきらしているんだ。

 


「まだ間に合うかな」、「もう遅いかな」を繰り返して生きていて、それを忘れてしまっている時、こんな振る舞い方をしてていいのかと悩んだり悔やんだり。生きることってずっと苦しいのだと思うけれど、それでも愛していたいと思う。


ジェミニを歌うふたりは優しくて、だけど息を切らしてしまいそうと思うくらい駆け足で、そうじゃないと間に合わない何かを知っているかのような寂しさがあると思った。その寂しさを感じた時、涙が出た。

 

千夜未来まで煌めいて星を結ばせてほしい。ずっと大切にさせてくれる音楽が、ずっと夜空で輝く星みたいで、出会えたのは互いに生きているからで、だけど死んでしまったってなくなるわけじゃない。生きてきた時間が、みんなの心に残っている。時計の針は刻み続けている。忘れてしまってもそれは失うことじゃない。確かに、刻み続けているのだから。

 

https://youtu.be/LeGY0YBhxAY?si=HWRRQ8KFGoO3aEJz

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思い出せるように仕舞ってるの

 

まふまふさんのことが好きだ。

あの頃。疎外感しかくれない夜に暗い布団の中でイヤフォンをして声を聴いた。優しすぎるその切なさに胸がぎゅっとなって、ずっと胸を埋めつくしていた濁った感情が少しだけ綺麗になるような気がした。どうしようもない寂しさもやっと居場所を見つけられて、緊張の糸が途切れたようにこんな美しい世界を知ることができた喜びを抱きしめながら夢を見ることができるのだった。 

月を見上げる度にまふまふさんのことを思います。今日は綺麗な三日月で珍しく影の部分もいつもより鮮明に見えた。家に着いてスマホを開いたらアスノヨゾラ哨戒班が投稿されていて、だからだと思った。月のあたたくて優しい仄かな明るさが、まふまふさんに似ているなと思う。巡ってくる新月の日もずっとそこにい続けて、見せる形を変えながらまた明るく光り始める美しさが生きているみたいで好きだ。この世界の全部が見えているのに、強く光ったり雨を降らせたりしなくて、愛しさを思い出させるようにただ優しくあたたかな淡い光をくれる姿が何より美しくて強かで、いつも憧れるような気持ちで見上げている。

 

絶賛配信中のバレンタインライブを観ながら愛されるために生まれてきました!みたいな仕草と表情でまふまふさんが動いてたくさん笑っているのを見て、ありえない未来の中にいると思った。そのあと東京ドーム裏の映像を観た。こんなにも命を終えるために舞台に立っていたひとが今、こんなに楽しむために同じ板の上に立っていること。同じ命で、同じ姿で。ひとは変わっていくものだけれどこんなに嬉しい変化に出会えるなんて。奇跡みたいで本当に毎日がきらきらしている。指をさしてこれ、同じひとなんですなんて言って歩きたい。過去の自分に言ったらどう思うだろうか。大好きな歌声を聴いて大好きの裏側でいつもいつかを覚悟して過ごす日のことが遠い過去に思えていることを知っていますか。こんなにあたたかな涙で綻ぶ口元で未来のことを想像できる日がくることを知っていますか。全部確かに繋がっていて今日全部まふまふさんがくれたものだ。

 

「嫌ってもらっても構わないや 恨んでくれないか君も  僕を覚えてくれましたか」と歌っていたまふまふさんが「忘れていいよ」と歌った。「傷つかないように 昨日の悪い夢にしておくれ」「君の世界中から僕を消してください」

全部が大切な思い出だから忘れないと伝えたら「覚えてる中でなるべく楽しかったなって思えてもらえるように頑張る!そんなふうに言ってもらえるなら」と言ってくれた。もう一度全部大切だと伝えたらありがとうと優しく笑ってくれてまふまふさんらしくて大好きだった。思い出したくないことなんて一つもない。増えた思い出を仕舞うために棚を開けると既に別の大切な思い出が収納されていて、こんなところにいたのって広げてしまって、収納はいつまでも終わらなくて幸せすぎて困っちゃうくらいだ。

 

「それでもいつだって君と見ていた世界は本当に綺麗だった」

本当にこの歌詞に尽きると思う。まふまふさんがいるからわたしはこの世界が綺麗だと思えたのだ。まふまふさんがいつだって綺麗で、今にも羽が生えておやすみと微笑んでこの世界から飛び立ってしまいそうなくらい、そんな想像をして本当に泣いてしまったことが幾度かあるくらい、寂しくなるくらい綺麗で。

「幸せになって」なんて本当は全部「死なないで」だったし「良いことがありますように」は「死なない理由が増えますように」だった。優しい世界を願い続けたのはまふまふさんが優しいものに包まれて生きてほしかったからだ。まだこの世界にいたいと思ってほしかったからだ。やり残したもののためだけにここにいて、地上からいつも数センチ浮いていて気を抜いたら空へ帰ってしまいそうな少し彩度の低い美しさの日々だったように記憶している。それが今は鮮やかな花畑に包まれて寝転んだり手を広げてこちらに合図しているような、散った花びらを頭に乗せながらめいっぱいの笑顔が見える愛しさでいっぱいの美しさになったなぁと思う。 「幸せになって」をそのままの意味で伝えたいと思える今が本当に幸せです。

 

あの頃。どんな未来だろうといてくれれば、生きてくれていればそれでいいと願った今日がこんなにも優しい。今日の日のこともいつか思い出せるのだろう。数年前だったら「思い出せますように」と書いていたと思う。

いつでもいつまでも思い出せる綺麗な今日だ。

 

https://youtu.be/zUBMf7AYPm0?si=9luaO1s7vQpsWXKF

 

ガラスのような夢にも

 

15年前、投稿ボタンを押したまふまふさんは、この先何回これを繰り返すと予想していただろう。初めてのオリジナル曲の投稿文にある「2つに1つは始まりの時。」これを書いた何年後にもう一方の終わりをつけようと思っていただろう。 

 

何度も何度も書いているけれど何度書いても足りないくらい、本当に夢の中にいるような日々だと思う。

 

やり残したことを一つひとつ、確実に達成していく姿を見てきた。震えるような覚悟で命を賭けてマイクを握る姿を見てきた。もう思い残すことはないというように「さよなら」「いつかまた」とステージから去っていく姿を見送ってきた。その度に何度したって慣れない覚悟をした。上手くやれてるのかわからなかった。 まふまふさんがいない毎日をわたしは知らなかった。

ライブ開催決定やアルバム発売決定といった大きな発表があると最高に嬉しくて楽しかった。けれど数年前までは、その喜びの裏側でいつも終わりのことを考えてしまっていた。それが終わってしまったらまふまふさんの後悔が1つ消える。まふまふさんにとってのまふまふさんがいなくなる理由が増える気がした。だからどれだけ楽しみでも、楽しみで大切であればあるほど、その直前は始まらないでと願ってしまった。だけど今年は、いつも次の約束があって、手を振る時は本当の「またね」ができた。夢みたいだった。まふまふさんが 「またね」と手を振って背を向けて歩き出した先が活動に繋がっていること。ステージを去るまふまふさんの後ろ姿を見つめている時、今までは本を閉じるのを見守る気持ちだったのが栞を挟んで駆け出していく背中を見送るような気持ちに変わっていたことに気づいた。見送った後、わたしも次の約束までまた頑張るぞ!と息を吸い込めた。続きを信じられること、こんなに嬉しいことはなかった。

 

8月の歌ってみたライブ。アンコールの「地球最後の告白を」の景色が今の彼の集大成のような景色だったなぁ。やさしくて眩しくて全部を抱きしめてまた歩き出すような歌い方。まふまふさんはあの会場を、まふまふさんを好きなひとたちのことを、地球まるごとを愛していた。まふまふさんから放たれる光が、さみしい刹那的な白じゃなくて、あったかくてみんなを包み込む愛の眼差しのようだった。お立ち台に飛び乗って、木漏れ日のように笑って心から楽しそうに歌う姿を見上げたら溢れてくる涙が抑えられなかった。ずっと見たかった景色だった。夕焼けのあたたかい光の中を歩きながら、伸びてゆく自分の影を見てこれまでの道のりの全てが愛おしかったと言えるような。そんな日だった。そんな風に言っているようだった。

これまでのライブや配信ではそんなこと言わないで〜...と少し胸が傷んでしまうような、自身を否定するような言葉を言うことが多かったまふまふさんがMCで「大好きだぞー!」「愛してるよ!」と笑顔で叫んでいた。ありえなすぎて腰を抜かしかけた。 終わっちゃうね...の時も「また絶対やるよ!」「またやるからまた来てね!」ってたくさん言ってくれた。これがまふまふさんの「今」なんだと思ったら本当に嬉しくてたまらなくてまた世界が一段ときらきらして見えた。ライブが終わったら、この会場を出たら、すぐに駆け出してこの幸せな気持ちをいろ〜〜〜〜んな人に分けてあげたい!と思った。

 

 

 

 

 

 

 

15年。まふまふさんがまふまふさんになって15年が経った。

「能動的に辞めようと思ってない」

今年の配信で朗らかにそう話す声を聞いて、こんなにもさらりと終わりの話をされる日が来ると思っていなかったので受け止めるのに時間がかかった。

まふまふさんが紅白に出るよ、歌枠をするよ、ソロで武道館に立つよ、歌ってみたライブをするよ、歌詞解説配信をやるよ、クリスマスでお顔を全部出して配信するよって数年前の自分に言ったら全部信じないと思う。できるできないじゃなくてやらない のはずだったことも、今まふまふさんが楽しい!と言ってやっている姿。こちらが勝手に願う前に勝手に諦めていたことさえどんどん叶っている。

まふまふさんがこの地球に生まれ落ちて、この世界の絶望も喜びも知って、もうこの命に意味はないと悟って、いっそ終わらせてしまおうと思った先にこんな未来を見出すなんて思ってもみなかった。

何かを見て、まふまふさんみたいだなと思うことが増えた。映画や音楽を聴きながらまふまふさんに重ねることが増えた。まふまふさんにいろんな色が似合うようになったことが本当に嬉しい!

 

まふまふさんの生きている姿。目を瞑って歌う姿や白くて細い手を遠くへ伸ばす姿、ひらりと衣装を翻して舞う姿はこの世の者とは到底思えないくらい綺麗だ。ギターを掻き鳴らして、音楽が楽しくてたまらないと言うように笑みが零れる瞬間、目の前に火花が散って痺れる。緊張しいでいつも不安そうで、でもみんなが自分を好きで応援してくれていると気づくと新鮮に驚くところ。そしてすごく恥ずかしそうに照れてまた下を向いてしまうところ。たくさん抱え込んで背負って頑張って、ステージでぽろぽろと涙を流してしまうところ。そうしてたくさん泣いた後に見せてくれるまふまふさんの笑顔はパッと花が咲くみたいにきらめいていて、かわいくて無邪気だった。

まふまふさんは強烈に生きていて、その姿が愛おしくてたまらないひとだ。生きていることは愛おしいことなんだとまふまふさんに出会って深く、強く、知れた。

 

 

 

 

まふまふさんの活動記念日がとても年末なおかげで、いつもこの機会に自分のこれまでも一緒に振り返っている。何事も面倒くさいという気持ちが勝ってしまって、新しいことを始めたり継続したりすることがとても苦手な自分が「できるかもしれない やってみたい 頑張りたい!」とまふまふさんのおかげで素直に思えた時がいくつもあったなぁ。初めてひとりで夜行バスに乗って東京に行った時、バスに揺られている間の緊張と東京に足を踏み下ろす(「ここがまふまふさんが生きてきた場所...!同じ空気...!」の)あの時の胸のどきどきをずっと抱きしめている。初めてひとりで飛行機に乗った時、ライブ帰りに空港を歩きながらまた一つできることが増えた今日にすごく感動して、そしてそれがまふまふさんのおかげであることがすごく嬉しかった。まふまふさんのおかげでまたわたしは成長できて、そんな自分を好きになれて、歩きながら少しだけ泣いた。あの時の胸の清々しさを、歩く速度が少し早くなって浮き足立つような感覚を今日も抱きしめている。

今年の1月の武道館ライブに向けて走る!と言って毎日ツイートで報告してくれた時、周りのフォロワーも走ったり何かしら運動を始めていて、わたしも何かしたいなと思った時、些細だけど毎朝職場まで階段で上ることを始めた。きつかったけど頑張れた自分のことを朝から褒めてあげることができて、気持ちよく1日のスタートが切れた。

愛おしすぎる走った報告ツイート⬇️

https://x.com/uni_mafumafu/status/1861382912727490746?s=46

いつかまふまふさんが成長について話していたツイートが、最近ようやく理解できてきた気がする。踏み出すことは恐怖や苦労だけじゃないこと、その先にはきっと素敵な景色と自分が待っていることをまふまふさんのおかげで知れたからだ。

https://x.com/uni_mafumafu/status/699558979383357441?s=46

 

それと、14年目を迎えた日のツイートも大好きで、今年何度も読み返した。

https://x.com/uni_mafumafu/status/1873300378277859481?s=46

「とっくに一生分の幸せをいただきましたが、自分は欲張りなので、来世の分までみんなと楽しんでいきます!

一緒にいてくれてありがとーー!!」

一生分の幸せをもらったのはこちらの方で...「一緒にいてくれてありがとう」その言葉もいつもこちらが伝えたい台詞だ。

伝えたい!ことをその伝えたい相手から伝えられるなんて、そんな幸せなことがあるだろうか。

 

 

屋根裏部屋で立て膝をついて歌った歌は世界中に羽ばたいて、それぞれの日常のそばにそれぞれのまふまふさんがいる。

「どの曲も思い入れのある大切な一曲で、ボクがこの世にいてもいなくてもどこかで誰かが聴いてくれると思うと、音楽を作ってきてよかったと本当に思う。」

まふまふさんの曲はみんなの心に咲いているよ。咲き誇って、綿毛になってまた誰かの心に行き着いて、咲いて、そうやってまふまふさんの音楽や思い、笑顔もずっとずっとこの世界に咲き続けるし、何度季節が巡っても、一等に美しいものだと思う。どんな未来にもどれだけ時が過ぎてもこの世界にはあなたがいるよ。そうやって誕生日に書いたけれど、本当に強く思う。バースデーライブでそらるさんのワンダーの「響かせ続けよう この歌を」を歌われた時、ずっと願ったことがまた叶った。

まふまふさんは自分を思い出す際に苦しみが伴うなら「忘れていいよ」と言うけれど、まふまふさんから受け取った全てのものを思い返して、最後に胸に残るのはいつだって「まふまふさんを好きになってよかったな」という思いなのです。こんな大好きをくれるひと、そんなひとを知って、好きになれて幸せでたまらないのだということがどうか伝わってほしいなぁ。

無数の出会いを選び取って生きていく中でまふまふさんに遭遇したわたしの人生はとびきり特別で大切です。 全て未来のわたしに渡し続けたい記憶です。記憶をなくしても、もしも別の人生を歩むことになっても、わたしは何度でもまふまふさんに出会う人生を選びたいです。だって今日がこんなにも幸せだから。

すべての選択にありがとう!

 

 

この先の未来で、まふまふさんが願った夜空がみんなの上に広がっているといいなと思う。

 

ライブ中、自分の足下を通った光がまふまふさんが立つ真ん中の一点に定まった時、自分の、みんなの道のりとまふまふさんの"今"が繋がった気がした。まふまふさんは星で、わたしたちも星だ。全員がそれぞれの星座を描きながらここに待ち合わせをしている。今ここはひとつの大きな星座になった。寂しい夜はこのことを思い出すだろうと胸の中にお守りを携えた。 大きくて広い、たったひとりで彷徨うしかない宇宙がこの世界にはあるけれど、暗くて見えなくてもきっと繋がっていてみんなで漂っているのだと思えた。ひとりじゃないんだなと思えた。


まふまふさんの音楽は自由そのもので、その音を歌声を聴けば不可能なんかないと思えました。見えないものも触れられないものも、まふまふさんが音楽にすれば、行方がわからなくても愛おしいと思う感情。ひとりでは知り得なかった、知らない自分の手を握る感覚だった。でもずっと手を繋ぎたかったのだと思う。まふまふさんのおかげでわたしはわたしが気づくことができなかった自分の思いに手が届いて自分を抱きしめたいと思えたんです。

本当にありがとう。

 

最後に、まふまふさんの初めてのオリジナル曲の歌詞を引用して終わろうと思います。今日も素敵な日でした。まふまふさんのおかげです。

 

本当は独りぼっちじゃ 何もできない
すぐ 壊れちゃうけど
ガラスのような夢にも 色があるんだと
確かに囁いた 始まりの時

有限のもと広がる この世界にも
ほら 無限の調べ
二人だけの世界にも 終わりがくると
ボクらを導く 永遠の輝き

【初音ミク】DAYBREAK【オリジナル曲・PV】 - ニコニコ動画

 

まふまふさんは永遠に輝いています。

大好きです!いつまでも、何度でも!

 

 

ときめききらめきを詰め込んで

 

少年忍者は今日、幕を閉じる。

出会ってから書いてきたことはたくさんあって、だけどその全部を今日まとめきるにはとても足りないくらいたくさんのものを貰ったなと思う。いつもは書いたものを切り取って貼って、長い時間をかけて文章を書くのだけど、あまりに書いてきたものと今日書きたいものが溢れて収集がつかない気がした。今の気持ちを真っ直ぐ残しておくことがまず1番自分がしたいことだなと思ったので、まっさらなところから今文字を打っている。今の時刻は23:24。あと30分もすれば少年忍者の活動は終わる。「少年忍者」が今を指すものではなくなる。本当にさみしい。今もこれを打ちながら視界がぼやけて感情が溢れてああまた、振り出しに戻ってしまう。

今朝、目が覚めて少年忍者のみんなは何を思っただろう。目を閉じて思い出す景色は煌めいていただろうか。わたしは今日、朝起きた時、忍者はたくさん大好きって思わせてくれたなぁと思って、そうやって出会ってからのみんなのことを思い返したら大人数のみんながぎゅっと集まってたくさんお喋りしている姿が浮かんで自然と涙が出てきた。 忍者はみんなが忍者を愛していることが伝わってくるところが大好きだった。忍者のパフォーマンスに強い誇りを持っていて、自分たちが創り上げてきた「少年忍者」という宝物をみんなで守りたいという共通した思いが伝わってくるところが大好きだった。11月26日水曜日に投稿された最後のYouTube、優しくて思いやりがあって愛がある、みんなの眼差しが大好きだと改めて思った。

太陽の笑顔を聴きながら、初めて聴いた頃は何気なく聴き流してしまっていた最初の歌詞「何度だって挑戦できるから 転んでも大丈夫 もう一度やってみて」が大人になった自分にものすごく刺さって、すぐもうだめだと思ってしまう自分を勇気づける力になっている。忍者のみんながそう言ってくれるなら、わたしもやってみたいと思えるんだよ。いつも全力のパフォーマンスを見せてくれたから、こんなに強い力を感じられる。

書きたいことがいっぱいある。23:49。あと10分で今日が終わってしまう。終わらないで、まだおわらないで。もう少しここにいさせて。まだ伝えたいことがたくさんある。だけど何よりも1番に伝えたいこと。ありがとう。本当にありがとう。わたしは忍者に貰ったものがたくさんある。今溢れて止まらない涙がその証拠だと思う。忍者がくれた景色は本当に美しくて、わくわくして、「ああこれが"未来"だ」と強く思った。NaNaNaを見た時、白くてきらきらした眩しい光をみんなから貰った。キミとのキセキは歌い出した瞬間文字どおり無限の輝きを浴びて条件反射で涙が出た。落ちサビではありえないくらい泣いた。本当に美しかった。ここでは挙げきれないほど、どの曲にもどのパフォーマンスにも心を強く揺さぶられた。

 

忍者は終わらない。ずっとあり続ける。目を閉じれば見れる夢のように、何度だって会いに行ける。

幸せだよ なくならないよってメンバーみんなが言っていること、本当にすごいことだと思う。あの頃あんなにちびっ子だった子たちが「少年忍者」という本当に素敵な愛を創って、こんなにも終わってほしくないと思うものにした。本当にすごいグループだった。出会えて、好きになれて本当に幸せです。

グループとして少年忍者を好きなのはもちろんだけど、みんなが深い深い愛を注いだ「少年忍者」という宝物を一緒に愛させてくれる時間こそが少年忍者だと思っていて、、わたしはそれが本当に大好きで幸せでした。守ってくれてありがとう。みんなの覚悟はいつも伝わってきていて、だけど楽しさや等身大の無邪気さも大切にしながらやわらかさや癒し、願いや祈り、大切なものをどれも見失わずにぎゅっと抱きしめて憧れを追いかけて生きるみんなの姿が大好きです。

みんなの青春を見ることができて本当に幸せでした。不意に映されたみんなが駆け出す足元ひとつでも全てが詰まっていて涙が出てしまうんだよ。

全員が幸せになりますように。みんなが大切に育てた「少年忍者」もきっとそう思っていると思います。

みんなは最高にかっこいいよ

これからもみんなで絶対勝とうね!ありがとう少年忍者!大好きだよー!

 

https://youtu.be/j67wb8ZhzCc?si=wW3-nqjckUc_K3Q5 

咲いていて!

大きくて広い、たったひとりで彷徨うしかない宇宙がこの世界にはあるけれど、今日ここはたくさんの思いを乗せたひとつの惑星になって、宇宙を漂うんだなと思った。ひとりは寂しいけれど、ひとりでも寂しくない夜を教えてくれた。きっと繋がっていて、だから恐れることはないと知った。寂しい夜も目を瞑れば一緒に漂うための惑星があるから大丈夫だと思えた。

 

まふまふさんがこの世界からいなくなってしまったらどうしよう とたまに訪れる衝動のような不安に泣きながら、寝転がって眺めた天井の色をまだ鮮明に憶えている。そんなこと言わないで いかないで ひとりにならないでと届かない天井に手を伸ばして、空を切る手に自分の無力さを何度も知った。まふまふさんとの間にずっとずっと高くて厚い隔たりがあるように感じてさみしかった。まふまふさんはいつだって泣きたくなるくらい優しいのに、まふまふさんがまふまふさんに優しくなかった。たとえ好きなひとによるものだろうと好きなひとが大切にされないのはかなしかった。だけど、だから、いてくれれば、生きていてくれればそれだけでいいと、それ以上はないと思っていた。

まふまふさんがこの世界にまた戻ってきてくれて、声を届けてくれている。それだけで十分すぎたのに、胸の奥で淡く燃えていた数々の願いが今、叶っていて驚いている。

 

去年の誕生日、「真っ直ぐ届く光のような愛の真ん中で愛されますように」と願った。復活の武道館ライブ、360°ステージで文字どおり愛のど真ん中にまふまふさんがいた。願ったことが目の前で叶っていた。「ここにいていいのかなって思った」「復帰してから自分の居場所がわからなかった」そう語るまふまふさんの居場所は間違いなくあそこにあった。360°から聞こえる「おかえり」「ありがとう」「大好きだよ」の声に堪えきれずぽろぽろと涙を流して、しゃがみこんでしまうまふまふさんの姿はとてもひとらしかった。愛されているひとだった。ひともどきで歌えなくなった時、本当に自然とみんなが歌っていてまふまふさんが360°の歌声に包まれたこと、絶対にずっとずっと忘れない。届け、届け!そう強く思った。

「これからも一緒に生きてくれ〜!」ってライブの最後に泣きながら言ってくれた。これから待ってる未来はあったかくて花道みたいだなぁと自然と信じることができた。一緒に歩きたい。あの頃あれだけ「まふまふさんがいなくなったら、」と想像して泣いていた日々が「まふまふさんと一緒に"生きる"がしたい」に変わっていたことに気づいた。

ファンミーティングを終えたあとツイートされた自撮りを見た時、思わず涙が出てきた。やわらかくてやさしくてかわいくてとびきりの愛の顔。愛されました!愛されています!愛してます!が伝わってくる顔で、こんな表情を見ることができる日がくると思わなくて胸がいっぱいいっぱいになって洪水状態だった。幸せだ。絶対忘れないだきしめ続ける愛の証明だ。

歌ってみたライブのアンコール。「地球最後の告白を」でお立ち台に立って手を広げて清々しく笑って歌う姿を見たら自然と涙が溢れてきた。あったかくて世界のすべてを包み込むような愛の眼差しだった。こんな景色を見れるなんて思ってもみなかった。「いつか」が叶う瞬間だった。

https://x.com/uni_mafumafu/status/1965344940575392098?s=46

忘れたくない大切な記憶に溢れていることが幸せで堪らなくて、まふまふさんがくれた日々はずーっとずっと宝物です。わたしが未来のわたしに渡し続けたい記憶です。まふまふさんが感じたことはどんなことも知れると嬉しくて、そんなひとに出会えたこと、好きになれたことがわたしの幸せです。

 

答えのない寂しさを抱えて生きていくには、人生はあまりにも長い。それだけじゃなくて、思い返してナイフみたいに返ってくる過去も痛くて、自分のことが嫌いになって、もう間違えないようにしたくて、誰も傷つけたくなくて、動けなくなってしまうことだってある。だけどきっとまふまふさんはそんな日も全部を繋げて過去も連れて今をだきしめているのだなぁと思った。誰も否定しない、「間違いだった」となかったことにしない姿にすごく勇気をもらっている。まふまふさんはいつだって頑張らなきゃ、じゃなくてわたしも頑張りたい!と思わせてくれる。自分に自信を持ちたいな、かっこよくなりたいなと憧れを何度でも追いかける力になっています。どうしようもない寂しさを人一倍知っているひと。だから見つけてくれる、ひとりにならないように一緒にいてくれる。そして未来を恐れないために自分をゆるしてだきしめて愛してあげるひと、生きるを選んだひと。生きていくひと。

突然また話が変わってしまうけれど、まふまふさんの雑談放送が好きだ。静かにゆっくりと優しい声で、正しい言葉で話しかけてくれる声が好き。目も当てられないような酷い言葉、人を傷付けるナイフみたいな言葉で溢れた世界から、ちょっと抜け出そうよ おやすみしようよって連れ出してくれるみたいな時間。オタクなのですぐにまた大袈裟に書いてしまうようだけどでも、本当に、心を癒す天国の階段を登ってるような時間だ。「ひさしぶり」「最近さむいね、」「またね」「ばいばい」「おやすみ」一見すると他愛ない挨拶もやさしい思いを纏っていると知っているから、何よりも確かなお守りになった。宝物を集めるように切り取って集めて、不安で胸が騒ぐ夜に静かにだきしめるように聴いた。

 

 

☪︎

10月18日。穏やかに吹き抜ける涼しい風の音が心地よくて鳥の声がよく聞こえて、息を深く吸い込むと金木犀の香りがする。夜を照らす月の色が明るくて綺麗で、優しい日だなぁといつも思う。

お誕生日おめでとうございます。生まれてきてくれてありがとう。夕焼けみたいなあったかくて優しい光をくれてありがとう。同じ光を返せたらいいなぁ。

 

当たり前みたいに未来の約束をしてくれる夢みたいな今日が、遠い昔に種を蒔いていた花が咲くみたいだなと思った。夢よりもっと現実に近いのはいつか咲くように願ってきたから。屋根裏部屋で立膝を立てて歌った青年の歌に水をやるように、雨の日も風の日も陽が当たらない日も、毎日まふまふさんが頑張ってきたからだ。根を張って、真っ直ぐ突き抜けるような優しくて強いまふまふさんの歌声が、音楽が届いて、今たくさんの人の心に咲いている。そして約束が結ばれている。

 

幸せの象徴みたいに咲くまふまふさんの笑顔が本当に大好きです。

咲き誇って、綿毛になってまた誰かの心に行き着いて、咲いて、そうやってまふまふさんの音楽や思い、笑顔もずっとずっとこの世界に咲き続けるし、何度季節が巡っても、一等に美しいものだと思う。どんな未来にもどれだけ時が過ぎてもこの世界にはあなたがいるよ。

 

忘れないよ。

同じ惑星で同じ時間に生きることができて幸せです。いつもありがとう。大好きです!

 

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- YouTube

 

 

やさしい冒険

月の裏側はわたしたちからは見えないけれど、辿ってきた背景の全てを知ることはできないけれど、ふたりが背中を合わせてわたしたちに見せる面が360度になったときのやさしい光を知っている。

誰にも見つけてもらえないような世界の隅っこに蹲ってしまうひとりぼっちの誰かが花に気づくように、差し出された傘に気づくように、雨宿りができるように、手放しじゃないやさしい光を与えてくれる。

いつもそこにある何気ない風景やすれ違う人の波、流れゆく時間さえも美しくて愛しいと気づかせてくれてありがとう。微かに鼻をかすめる淡い色で季節の一つひとつを思えたり、風の行方で世界の広さを感じることができたり。どれも自分ひとりで気づけなかったこと。今まで簡単に見逃してしまっていたんだなぁ。数々の愛しさに日々包まれて生きていることにふたりのおかげで気づくことができました。

そしてどこまでも綺麗で、どれもこれもなくしたくないと抱きしめていきたい思いがあること。その愛おしさを教えてくれてありがとう。

夜空に縫った数々の星はひとつの糸でずっと繋がっていて、いつでもなくならないし全部ここにあるのだと信じさせてくれてありがとう。寂しくさせないでくれてありがとう。明日も大好きだと、また声が聴きたいと思うこと。未来はどんなに鮮やかで色めいているだろうと冒険に向かう前のように逸る気持ち。今この瞬間、静かに目を瞑って穏やかに流れる時間を心地よいと感じられること。あの日の景色を思い出してずっと続きますようにと願うこと。どれも違う場所にあるようでも、同時に抱けること。繋がっていること。

 

ふたりが出会ったこと。

あの日見えた虹。After the Rainというふたりで1つの名前を持ったこと。小さな遠い始まりが今日も続いていること。それぞれの星座を描きながら待ち合わせる場所。何度でも出会う場所。この場所で背中を合わせて、 それぞれの夜を照らすように遠く遠くまで手を伸ばすふたりの姿が目に焼き付いています。

ふたりに出会えたこと。

何気ない日々も特別な日も全てが大切で嬉しくて。誰もひとりにしないふたりの思いがずっと胸の中でやさしく燃えています。絶やしたくない灯りを握らせてくれてありがとう。照らしてくれてありがとう。


この世界で息を吸い込めることの喜びに気づかせてくれてありがとう。胸に抱いたこの思いが愛しいと気づかせてくれてありがとう。

さみしさや切なさ、ままならない思いも一緒に抱きしめさせてくれてありがとう。美しい世界に気づかせてくれてありがとう。美しい景色をありがとう。

幸せに気づかせてくれてありがとう。

 

海より深く、空より遠く、星よりも光って、夢よりも近いふたりの冒険が、音楽が、この場所がこれからもとびきり楽しく自由で心地の良いものでありますように。

 

After the Rain 結成記念日まであと99日。

#AtR結成10周年お祝い企画

幸運の記憶

餃子を頼んだのが駈なのかカンナなのかは分からないけれど身に覚えのない嬉しいものを受け取って真っ先に心当たるひとがいることが15年間の答えだった。嬉しいことがあった時、幸せだとかラッキーだとか思う前に、誰かにありがとうと思えるのってその何十倍も幸せなのかもしれない。自分を思って行動してくれる人がいると知っていること、生きていくお守りだ。カンナの中にずっと駈はそうやっていろんなものを残し続けて一緒に生きていくんだろうなぁ

過去現在未来はミルフィーユみたいに同時に存在している。だから運命の人にはもう既に出会っているし、かき氷は食べ終わっている。もう会えなくなったひとや二度と戻らない日常はやがて記憶から消えてなくなっていくのではなく、ずっと「ある」のだ。だから手を伸ばせば触れることができるし過去の自分や未来の自分と話すことだってできるだろう。カンナと駈が15年前に約束をした日と、カンナと駈の結婚生活の幸せな日々と、駈を失ったあとのカンナの日々は同時に存在している。だから過去や未来を嘆く必要はない。終わってしまうものでは無いから。今日もカンナと駈は朝ご飯を一緒に食べている。今日駈はカンナにプロポーズをする。今日駈は15年前から来たと言う未来の妻に初めてのキスをする。

終わってしまったものなんてない。ただ今日を大切にすれば良いのだ。今この瞬間を大切にすることが過去も未来も抱きしめることになる。

手紙の最後の言葉、わたしがずっと欲しかった言葉だった。大切なひとに出会えてよかった。代償なんて一つだってない。悲しみもさみしさも全部出会えた喜びなんだよ。大好きなんだよ!どうか伝わりますように。この映画を観ている時間は大切なひとがいる人たちのことを思える時間でもあるの、なんだか不思議だけど胸の真ん中にあるものは共通していると思えるから、手を繋いでいたいよ

夕日に触れるように窓に触れる駈の姿を見たらそれだけでもう、生きていく全てが美しく思えて、今までの路がずっと続いていて今ここに来れたんだなぁって思って涙が出てきたなぁ

殴っていいですか?に対して、いいです足を踏んでもいいくらいだと言われて無言で駈の足を踏むカンナ、大好き。愛おしかったなぁ

 

#ファーストキス