「顔を出すのが、怖い10年間でした。人前で歌うことが、大嫌いな日々でした。」
「その友達たちと話すの。
『いつか俺絶対ミュージシャンになるから。いつか武道館とか東京ドームとかでライブすることになるかもしれないよ?』
「じゃあいつか紅白とか出てよ」
『いやいやいや...一般的に受け入れてもらえる音楽やってるかわかんないけどさぁ...』
なんて話してさ、」
『「あっ、やっぱりこいつやってくれたな」って思うようなことをやってこそだと思う。なんか、これから先もいろんなことやりそうじゃない?ボク。(笑) やるんだけどさ。誰もやってないことをやるよ。ほんとに。みんなに馬鹿って言われたけど、すごいねぇって、お前ほんとすごいけどすごい馬鹿だねってめちゃくちゃ言われたけど。こんな東京ドームを無観客無料でやる...じゃ留まらないようなすごいことをするから』
「叶っていくと思わなかった。
それでも絶対に、どれだけ売れなくても、明日食べるものがなくても、音楽をやっていたいなぁって
出たいなって思った。純粋に。ああ出てみたい。マスクを外して思いっきり歌ってみたいなぁって。
自分もここに並んでみますか?って言ってもらえるくらいの人になれたのかな。こっちにおいでよって言ってもらえるようになったのかなぁ なったならいいなぁって」
夢の話をしたいと思う。
なんでも話せる人がいて、信頼できる人がいて、みんなが手を取り合って、笑顔が絶えなくて、朝なんか怖くなくて、明日が待ち遠しくて、毎日が楽しくて、幸せで、世界中の人間を愛せるような、そんな人生。
時間は巻き戻せないと言うけれど、でも会えないわけじゃないのかもしれない。
わからないけど、一緒に生きている。
人の記憶って本当に不確かで、思っている以上に憶えていないものだ。
それでも、再生ボタンを押した瞬間に、息を吸う音を聞いた瞬間に、声が聞こえた瞬間に、一気にあの時の体温が戻ってくる感覚。あの時の自分が帰ってくる感覚。ああ、ちゃんと生きてたんだなと思う。生きているんだな と思う。
“人は、現在だけを生きてるわけじゃない。過去も、未来も人はその時を懸命に生きている。過去は過ぎ去ってしまったものじゃない。”
手を繋げるはずだと思う。わからないけど。
わたしはわたしのことが嫌いなわけじゃないけど、わたしを俯瞰的に見た時に可愛くないな と思う。
愛せないな と思う。
でも、まふまふさんの音楽を聴いてきて、熱くなって、どんな言葉でこの気持ちを表したらいいんだろう伝えたらいいんだろうと考えて、こういうところが好きだって胸がいっぱいになっていた、部屋の隅っこで体育座りをしてイヤホンから聴こえてくる彼の音楽に涙を流したわたしとは、手を繋げると思う。一緒に生きていけると思う。一緒に生きていたいと思う。
わたしひとりではそう思えなかった。
「ずーっとずっと自由でいたいです。」
この世界で、音楽だけは自由だ。
「“音楽”をしている」
東京ドームを振り返って、「あの瞬間だけは、ミュージシャンだったね」と誇らしい声で言うのを聞いた時、本当に嬉しくて、もっともっと自由になってほしいと思った。
まふまふさんは生きている。
まふまふさんは神様じゃない。天使でもないし、アイドルでもない。
それでもやっぱり。まふまふさんにたくさんのものをもらって生きているけど、わたしはまふまふさんに何も渡せない。きっといつまでも知り得ない。
だから、美味しいご飯を食べて、たくさん寝て、優しい夢を見て、抱きしめたいと思うほどの愛しい思いを持って、そんな日々に包まれて生きてほしい。
自由で、それでいてあたたかくて優しい毎日だといい。損とか得とか、そんな目先の価値の日々じゃなく、ただ心地よく生きられるといい。微笑みの多い毎日だといい。頬に流れるものが優しさで溢れているといい。
彼が人らしく生きていていられるといいなぁと思う。
優しくて、優しくて。声を聞くたび、泣きそうになってしまう。
生きていると、わからないことが増えてくる。
怖いことが増えてくる。
世界は窮屈で、震えるくらい冷たくて、本当に生きづらいと知る。
自分をわかってくれる人だけを集めて、許してくれる人だけを集めて、そういう場所を選んで、ここで生きていけばいいやって、ここで満足だって、閉じ込めた狭い世界で生きてしまう。楽な道を選んでしまう。目を逸らして、そのほんの一瞬の安心を引き繋いで生きてしまう。
「顔を出すのが、怖い10年間でした。人前で歌うことが、大嫌いな日々でした。」
「ライブってなんて素晴らしいものなんだろう。」
「ライブが好きになっていたんだなぁ。」
「この活動を始めて本当によかった。」
「やっぱりこの人生でよかった。」
「もしまた生まれ変わる時がきたら、もう一度ボクに生まれたいです。」
「10年前のボクに伝えたいです。今日こうして幸せに、音楽やってるよって」
「何年後のボクたちに繋がっていくと思う」
当たり前のように未来を見据えていた彼に、それを当たり前に受け取っていた自分に、驚いた。
「革命を起こしてきたでしょ」と笑った彼の言葉が、背中が本当に大きくて頼もしくて。ああなんて、かっこいいんだろう。
まふまふさんは何処へだって行けるし、何処へだって行くだろう。
「思いっきり楽しんでほしいな。物珍しいやつが出てきた、今年の大舞台を」「こいつのこと応援してるんだぜって言ってほしい」
「怖いなって思うけど、嫌だとは思わないかな」
「もう逃げない」
「今年の年末に思いっきりやってくる!」
ああ、わたしは「生きてるよ」って声が聞きたかったんだな。
変わることがこんなにも嬉しくて愛おしいものなんだと知った。変わらないために変わるのだと知った。
変わることは今までを否定することなんかじゃなかった。
初めて、あなたの声でこの世界を知った時。この世界の音を聴いた時、水の中みたいだと思ったんだ。
周りの音の響きが鈍くなって、目の前に広がる景色は揺れていて、確かな形は何ひとつ見せない。でもこの声だけ、はっきりと聴こえる。
なんとなく、ここにいたいと願いながら、ひとつではないここにしかないものを見出しながら、水面に手を伸ばしてるような、どうしようもない思いが胸を刺したんだよ。
決して伝わることはないから、もう伝わってほしくもないから。姿を消して歌う歌。でもどこかに存在していたい歌。わかってほしい歌。
ロックでも、バラードでもない。
ただ、静かな、ここだけの、ひとりの救えないかなしい、彼だけの音楽。
そんな音楽を、わたしは何よりも愛しました。
誰も救わなくていい。
やりたいことをやって、死ぬほど思いっきり楽しんでほしい。
全てに意味はあって、全てに意味はないと教わった。
前に進まなくても前を向いているだけでいいと、前を向かなくても後ろを向きながら進めばいいと、言ってくれた。
「こんなことってないよ」まふまふさんはわたしたちへの感謝の意味でそう言ったけど、その何千倍もこんなことってないと思ってる。
こんなすごい人を応援する人生になると思わなかった。こんなに楽しいと思わなかった。こんなに嬉しいと思わなかった。こんなにわくわくすると思わなかった。こんなに心から、幸せだと思える人生になると思わなかった。
数え切れないほどの、大きくて大切なものを受け取った。
出会えて良かった。これ以上強く思うことはないと思う。
「明日には何も無い」
大袈裟じゃなく、遺言を受け取っている。
「いつまで元気にいられるかな とかすごい考えて、この瞬間が最後かもしれない。最後かもしれない と思っていつもライブとかに臨んできた」
まふまふさんは、いつだってその時に世界を終わらせている。もう何も無くなってもいい という思いで、音楽をやっている。
今にも倒れそうな足取りでマイクを握りしめて叫ぶ姿に、両手でマイクを大切に持って、時折目を瞑って全てを思い返すように歌う姿に、今が1番幸せだ とくしゃりと零れそうに笑って歌うその姿に。
彼の思いがずっと続くことを願った。届くことを願った。
「本当は、このまま曲を書き続けていって『この世界に書くことなんてない』ってなった先に、また別の世界があってくれたらいいなと思ってる」
矛盾したっていい。
正解なんてない。きみが思うなら全部本当なんだ。
水中から、花火が上がった。
誰もが、思わず空を見上げた。どこから上がったかわからないそれに目を奪われ、大きな音と珍しい色に驚き、見たことのない輝きに眩しさを覚え、瞬きする間にそれは消えていく。そしてきっといつも通りの闇がまた、広がる。
でもずっと心の奥で息をする。空っぽになりかけた時、ふっと心に光って、「ああ、わたしも頑張ろう」と思う。消えたりなんかしない。
そんな人を追いかけた。
それは間違いなく、誰にも譲れないわたし誇りです。
好きになってよかった。本当に心の底から、思うと嬉しくて、大切で、忘れたくなくて、幸せで、涙が出るくらい強くそう思います。
生きている証を、泣きたくなるような景色を、何よりも強くて大きい夢をこの目で見ている。
どうせ生きるなら、考えることをやめないでいたいと思う。笑われたって夢を見ていたいと思う。まふまふさんのおかげで、わたしはわたしを諦めたくないと思えました。わたしも頑張ろうと思えました。
白くて細いその手が伸びた先には何があるんだろうか。何を求めているんだろうか。
世界にわたしたちを入れてくれたあなたに。
11年前の今日、まふまふさんはどんな気持ちで投稿ボタンを押したんだろう。
明日はどんな景色が待っているんだろう。
夢を、光を、勇気を、たくさんありがとう。
「こんなことってないよ」。本当だよ。
もう縛るものなんてない。
本当に、どこまでも羽ばたいて