脈打つ代わりに花火が上がった

 

「顔を出すのが、怖い10年間でした。人前で歌うことが、大嫌いな日々でした。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その友達たちと話すの。

『いつか俺絶対ミュージシャンになるから。いつか武道館とか東京ドームとかでライブすることになるかもしれないよ?』

「じゃあいつか紅白とか出てよ」

『いやいやいや...一般的に受け入れてもらえる音楽やってるかわかんないけどさぁ...』

なんて話してさ、」

 

『「あっ、やっぱりこいつやってくれたな」って思うようなことをやってこそだと思う。なんか、これから先もいろんなことやりそうじゃない?ボク。(笑)  やるんだけどさ。誰もやってないことをやるよ。ほんとに。みんなに馬鹿って言われたけど、すごいねぇって、お前ほんとすごいけどすごい馬鹿だねってめちゃくちゃ言われたけど。こんな東京ドームを無観客無料でやる...じゃ留まらないようなすごいことをするから』

 

 

 

 

「叶っていくと思わなかった。

それでも絶対に、どれだけ売れなくても、明日食べるものがなくても、音楽をやっていたいなぁって

 

出たいなって思った。純粋に。ああ出てみたい。マスクを外して思いっきり歌ってみたいなぁって。

自分もここに並んでみますか?って言ってもらえるくらいの人になれたのかな。こっちにおいでよって言ってもらえるようになったのかなぁ  なったならいいなぁって」

 

 

 

 

 

 

 

夢の話をしたいと思う。

なんでも話せる人がいて、信頼できる人がいて、みんなが手を取り合って、笑顔が絶えなくて、朝なんか怖くなくて、明日が待ち遠しくて、毎日が楽しくて、幸せで、世界中の人間を愛せるような、そんな人生。

 

 

 

時間は巻き戻せないと言うけれど、でも会えないわけじゃないのかもしれない。

わからないけど、一緒に生きている。

人の記憶って本当に不確かで、思っている以上に憶えていないものだ。

それでも、再生ボタンを押した瞬間に、息を吸う音を聞いた瞬間に、声が聞こえた瞬間に、一気にあの時の体温が戻ってくる感覚。あの時の自分が帰ってくる感覚。ああ、ちゃんと生きてたんだなと思う。生きているんだな と思う。

 

“人は、現在だけを生きてるわけじゃない。過去も、未来も人はその時を懸命に生きている。過去は過ぎ去ってしまったものじゃない。”

 

手を繋げるはずだと思う。わからないけど。

わたしはわたしのことが嫌いなわけじゃないけど、わたしを俯瞰的に見た時に可愛くないな と思う。

愛せないな と思う。

でも、まふまふさんの音楽を聴いてきて、熱くなって、どんな言葉でこの気持ちを表したらいいんだろう伝えたらいいんだろうと考えて、こういうところが好きだって胸がいっぱいになっていた、部屋の隅っこで体育座りをしてイヤホンから聴こえてくる彼の音楽に涙を流したわたしとは、手を繋げると思う。一緒に生きていけると思う。一緒に生きていたいと思う。

わたしひとりではそう思えなかった。

 

 

 

 

「ずーっとずっと自由でいたいです。」

この世界で、音楽だけは自由だ。

「“音楽”をしている」

 

東京ドームを振り返って、「あの瞬間だけは、ミュージシャンだったね」と誇らしい声で言うのを聞いた時、本当に嬉しくて、もっともっと自由になってほしいと思った。

 

 

 

まふまふさんは生きている。

まふまふさんは神様じゃない。天使でもないし、アイドルでもない。

それでもやっぱり。まふまふさんにたくさんのものをもらって生きているけど、わたしはまふまふさんに何も渡せない。きっといつまでも知り得ない。

だから、美味しいご飯を食べて、たくさん寝て、優しい夢を見て、抱きしめたいと思うほどの愛しい思いを持って、そんな日々に包まれて生きてほしい。

自由で、それでいてあたたかくて優しい毎日だといい。損とか得とか、そんな目先の価値の日々じゃなく、ただ心地よく生きられるといい。微笑みの多い毎日だといい。頬に流れるものが優しさで溢れているといい。

彼が人らしく生きていていられるといいなぁと思う。

 

優しくて、優しくて。声を聞くたび、泣きそうになってしまう。

 

 

 

 

 

生きていると、わからないことが増えてくる。

怖いことが増えてくる。

世界は窮屈で、震えるくらい冷たくて、本当に生きづらいと知る。

自分をわかってくれる人だけを集めて、許してくれる人だけを集めて、そういう場所を選んで、ここで生きていけばいいやって、ここで満足だって、閉じ込めた狭い世界で生きてしまう。楽な道を選んでしまう。目を逸らして、そのほんの一瞬の安心を引き繋いで生きてしまう。

 

 

 

「顔を出すのが、怖い10年間でした。人前で歌うことが、大嫌いな日々でした。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ライブってなんて素晴らしいものなんだろう。」

「ライブが好きになっていたんだなぁ。」

「この活動を始めて本当によかった。」

「やっぱりこの人生でよかった。」

「もしまた生まれ変わる時がきたら、もう一度ボクに生まれたいです。」

 

 

「10年前のボクに伝えたいです。今日こうして幸せに、音楽やってるよって」

 

 

 

「何年後のボクたちに繋がっていくと思う」

当たり前のように未来を見据えていた彼に、それを当たり前に受け取っていた自分に、驚いた。

 

「革命を起こしてきたでしょ」と笑った彼の言葉が、背中が本当に大きくて頼もしくて。ああなんて、かっこいいんだろう。

 

まふまふさんは何処へだって行けるし、何処へだって行くだろう。

 

「思いっきり楽しんでほしいな。物珍しいやつが出てきた、今年の大舞台を」「こいつのこと応援してるんだぜって言ってほしい」

「怖いなって思うけど、嫌だとは思わないかな」

「もう逃げない」

「今年の年末に思いっきりやってくる!」

 

ああ、わたしは「生きてるよ」って声が聞きたかったんだな。

 

変わることがこんなにも嬉しくて愛おしいものなんだと知った。変わらないために変わるのだと知った。

変わることは今までを否定することなんかじゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

初めて、あなたの声でこの世界を知った時。この世界の音を聴いた時、水の中みたいだと思ったんだ。

周りの音の響きが鈍くなって、目の前に広がる景色は揺れていて、確かな形は何ひとつ見せない。でもこの声だけ、はっきりと聴こえる。

なんとなく、ここにいたいと願いながら、ひとつではないここにしかないものを見出しながら、水面に手を伸ばしてるような、どうしようもない思いが胸を刺したんだよ。

決して伝わることはないから、もう伝わってほしくもないから。姿を消して歌う歌。でもどこかに存在していたい歌。わかってほしい歌。

ロックでも、バラードでもない。

ただ、静かな、ここだけの、ひとりの救えないかなしい、彼だけの音楽。

そんな音楽を、わたしは何よりも愛しました。

 

 

誰も救わなくていい。

やりたいことをやって、死ぬほど思いっきり楽しんでほしい。

全てに意味はあって、全てに意味はないと教わった。

前に進まなくても前を向いているだけでいいと、前を向かなくても後ろを向きながら進めばいいと、言ってくれた。

 

 

「こんなことってないよ」まふまふさんはわたしたちへの感謝の意味でそう言ったけど、その何千倍もこんなことってないと思ってる。

こんなすごい人を応援する人生になると思わなかった。こんなに楽しいと思わなかった。こんなに嬉しいと思わなかった。こんなにわくわくすると思わなかった。こんなに心から、幸せだと思える人生になると思わなかった。

数え切れないほどの、大きくて大切なものを受け取った。

出会えて良かった。これ以上強く思うことはないと思う。

 

 

 

「明日には何も無い」

大袈裟じゃなく、遺言を受け取っている。

「いつまで元気にいられるかな とかすごい考えて、この瞬間が最後かもしれない。最後かもしれない と思っていつもライブとかに臨んできた」

まふまふさんは、いつだってその時に世界を終わらせている。もう何も無くなってもいい という思いで、音楽をやっている。

今にも倒れそうな足取りでマイクを握りしめて叫ぶ姿に、両手でマイクを大切に持って、時折目を瞑って全てを思い返すように歌う姿に、今が1番幸せだ とくしゃりと零れそうに笑って歌うその姿に。

彼の思いがずっと続くことを願った。届くことを願った。

 

 

 

「本当は、このまま曲を書き続けていって『この世界に書くことなんてない』ってなった先に、また別の世界があってくれたらいいなと思ってる」

 

矛盾したっていい。

正解なんてない。きみが思うなら全部本当なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

水中から、花火が上がった。

誰もが、思わず空を見上げた。どこから上がったかわからないそれに目を奪われ、大きな音と珍しい色に驚き、見たことのない輝きに眩しさを覚え、瞬きする間にそれは消えていく。そしてきっといつも通りの闇がまた、広がる。

でもずっと心の奥で息をする。空っぽになりかけた時、ふっと心に光って、「ああ、わたしも頑張ろう」と思う。消えたりなんかしない。

そんな人を追いかけた。

それは間違いなく、誰にも譲れないわたし誇りです。

好きになってよかった。本当に心の底から、思うと嬉しくて、大切で、忘れたくなくて、幸せで、涙が出るくらい強くそう思います。

生きている証を、泣きたくなるような景色を、何よりも強くて大きい夢をこの目で見ている。

 

どうせ生きるなら、考えることをやめないでいたいと思う。笑われたって夢を見ていたいと思う。まふまふさんのおかげで、わたしはわたしを諦めたくないと思えました。わたしも頑張ろうと思えました。

白くて細いその手が伸びた先には何があるんだろうか。何を求めているんだろうか。

世界にわたしたちを入れてくれたあなたに。

 

 

11年前の今日、まふまふさんはどんな気持ちで投稿ボタンを押したんだろう。

明日はどんな景色が待っているんだろう。

 

 

夢を、光を、勇気を、たくさんありがとう。

「こんなことってないよ」。本当だよ。

 

 

もう縛るものなんてない。

本当に、どこまでも羽ばたいて

 

 

 

タイムカプセルなんてなくても

 

クリスマスイヴイヴですよ」

『そんないい加減なMCあります?!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.12.18

突如現れるリムジン。

そこから降りてくるのは他でもないAfter the Rainのふたりで。

なんでリムジンやねん(禁忌)

 

After the Rain ONLINE LIVE

-5th ANNIVERSARY-

 

「ああ  世界、恣意的愛ヲ謳ウ」

そらるさんと向き合って歌うまふまふさんの表情を見て、声を聴いて、もう全てをもらった気がして泣いた。

あまりに優しい顔をするので、あまりにも優しい声で歌うので、耐えきれなくて泣いた。

ありがとう...ありがとうAfter the Rain...ありがとう...5周年おめでとう...ありがとう...(大の字)

 

 

「キミにきめた!」

8月の東京ドームで向かい合ってお互いを指さしたふたり。くしゃりと笑った本当に楽しそうなまふまふさんを見て泣いた。

今回のライブも、向かい合ってお互いを指さしたふたり。

でも今回はいつもと違った。

まふまふさんはいつも通りそらるさんに指をさした後、指さしたその手をグッと握り、また、そらるさんをしっかりと指さした。たった2秒くらいの出来事だったけどその手は5年間を握っていた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

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『絶望していたところに手を差し伸べてくれたのがそらるさんでした。』

 

手を差し伸べられた時。その手をとった時。

最初にそらるさんを選んだ日。

そこから5年間。いや、もっともっと長い時間。

その時間を経て、今日 まふまふさんはまた、そらるさんを選んだんだなぁ。

そう、思いました。

 

これからもお互いがお互いを選び続ける、そんなユニットであってほしいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

そらるさんがアイフェイクミーを歌う横でギターをかき鳴らすまふまふさんを見て、これこれーーーーー!!!!!これが見たかったんだよ!!!!!!!!となった。あの画を眺めてお酒が飲めると思いました。

 

 

 

そらる、やっぱりおもしれー女...

「免許持ってるからね」「よゆうだよ」と言いながらハンドルをぎゅっと強く握り、生まれたての小鹿のように己をセグウェイと共に震わせるあの姿は間違いなく「そらるさんじゅうさんさい」だった。

そんな姿を横で、「いいぞいいぞ!上手い上手い!」と見守るまふまふさん...そらるさんの「イケメンな一言」を期待100パーセントなきらきらした瞳&上目遣いで待つまふまふさん...見たことないほど無邪気...𝓼𝓸 𝓬𝓾𝓽𝓮....(so cute)

“そらるさんをめちゃくちゃ慕ってる後輩ちゃん”なまふまふさんが垣間見えて、いつまでも変わらないものを抱きしめた。

そらるさんのイケメンな一言、必殺「乗ってく?」を受けて、小さくて可愛らしいお口をめいっぱい開けて笑うまふまふさんを見た時に、この笑顔を見るために生まれてきたんだわたしは...と本気で思った。

自分で笑って歌えなくなるそらるさん VS 自分のパートは絶対にちゃんと歌うまふまふさん 

どっちも“らしく”て大好きだった。

曲が終わって、暗転した会場で「おもしろかった?」とまふまふさんに聞くそらるさんがどこまでもそらるさんで。そらるさん、いつまでもそんな感じで______(星に願いを)

 

そしてエターナルフォースブリザードを放つふたりの姿は紛れもなくプリキュアで、わたしが唱え続けてきた「After the Rainプリキュア説」が立証された瞬間だった。

After the Rainふたりはプリキュアだった。

 

 

 

MCでまりがどんなものかわからないそらるさんに一生懸命説明するまふまふさん。その説明を聞いてない様子のそらるさんに『~って、聞いてる?!』と怒るまふまふさん...

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『うにょろにょろパンって...いうパンがあったとするじゃないですか...待って!話聞いてる?!』

どんどん先を進むそらるさんを追いかけてその勢いのあまりそらるさんの肩にごっつんこした犬みたいなまふまふさんのことを思い出してにっこりした。

 

 

 

 

 

 

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クリスマスイヴイヴですよ」

『そんないい加減なMCあります?!』

 

2017年の今日も、そらるさんが喋っている後ろで一言も発さずセットに座ってみたりなんやかんやするまふまふさんがいた。

「おい、俺みたいなことするな」

『すみません。ちょっと自分の髪直してました。』

 

「結構寒がりなんですけど...暑い!!」

『さっき、ライブ前なのに体冷えちゃったよ~~(声真似)って言ってたじゃないですか』

そらるさんの真似っ子するまふまふさんも相変わらずいた。

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『MCのレベルはまだ1年目くらいなんだけど。MCずっと変わってないよ?!ずーっとこうだよ』

 

「変わらぬ良さ」、抱きしめて生きる。

 

 

 

「いつかたとえ君を忘れたい夏になってしまうとしても」

ふたりで顔を見合わせ、まふまふさんが小さく頷いて入るサビ。ここのカメラワークが良すぎて一生覚えていようと脳に刻み込んだ。

ぴょんぴょん飛び跳ねながら定点のスポットライトから大きくズレていくまふまふさん(気づいてない)(楽しそう)(かわいい)、それを見るそらるさん(優しい目だ...)(楽しそう)、気づいて慌ててスポットライトの下に戻るまふまふさん(かわいい)(楽しそう)

「パッと開いて~」でまたスポットライトからズレていて、あ~楽しいんだなぁと思って本当に嬉しかった。

そらるさんの「恋の憂いなんて連れ去っておくれ」の歌い方が恋の憂いなんてもういらないよ~!今が楽しいぜ~!ってすごく伝わってきて、よ~し!わたしが連れ去っちゃうよ~ん!と思いました。(誰?)

 

公演を通して、そらるさんは息を吸う音が割とはっきりとマイクに入っててよく聞こえる一方で、まふまふさんはあまり入らない(ようにしてる)なぁ~聞こえないな~と思っていたのですが、

万花繚乱のラスト「解き明かして」の前ははっきりとまふまふさんの息を吸う音が入っていて、それと同時にそらるさんの方を向いたその表情が本当に楽しそうで、眩しくて、また泣きそうになった。

 

 

 

After the Rainはソロ×ソロの化学反応

その言葉通り横浜アリーナ西武ドームという大きな舞台にそれぞれひとりで立ってきたふたり。

そこで“After the Rainの曲”として披露した中で最後に持ってきたのが彗星列車のベルが鳴るで、

そんな曲をこの5周年記念ライブでも最後に持ってきたふたり。

そらるさんが「本当に長い時間ありがとう!これからのAfter the Rainもよろしくお願いします!」と言ったその後に深くお辞儀をするまふまふさんを見たら我慢できなくて涙が出た。

After the Rainから未来を受け取った。

背中を預け合って、ふたりが手を伸ばした先にはどこまでも続く果てしない闇が広がっていた。世界にAfter the Rainしかいないみたいな。

そんな景色を見た時、この時間は永遠だと思った。

 

 

After the Rainとして歌っている時のまふまふさんの表情はすごく柔らかくて。そんなにいろんな表情をするんだなぁとなんだか不思議な気持ちになる。ひとりでは決してできない顔。隣に、その目線の先に相手がいるから、愛があるから生まれる表情。

息を吸う声がよく聞こえて、目を瞑ってひと言ひと言大切に、大事に大事に歌う姿を見て、まふまふさんが歌っている歌詞を隣で静かに口ずさむ姿を見て、たまに隣をさらりと見て満足したようにふっと笑う、この人じゃなきゃだめなんだなと思った。

 

 

「あの頃よりも  前を向けたよ」

真っ直ぐ前を向くふたりを見て、当たり前かもしれないけどふたりの前が同じだったこと。

 

雨宿りをした「あの日」が確かに存在したこと。

 

 

 

全20曲の

After the Rain 5周年記念ライブ。

どこを切り取っても綺麗で、神聖で、そんな景色をわたしはわたしの中で守っていこうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

形なんて、ただの。

 

“形というものはとらえ方次第なんだよ。例えば香りは目に見えないけど、確かに存在しているだろう?じゃあ思い出は?形なんてないけど、過去にあった事象だろう?形に意味なんてない。それが存在しているかどうか、ただそれだけなんだ。”

 

 

 

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そらるさんとまふまふは「だいたいねむい」という点以外は

あらゆる点が真逆に見えるかと思います。

まぁ実際、パズルのピースもぴったりハマるのは真逆のものなわけで、いろいろと反対だからこそ仲良くやれているみたいなとこあると思う。

 

After the Rainの「変わらぬ良さ」も、変わっていく良さ も全部抱きしめていきたいなぁと思う。

 

 

思い出せなくなっても、確かにそこに“あった”。

それだけで生きていけることがあると思う。

 

 

 

 

 

雨が降ったなら、

今日、全てを閉じ込めたあそこで、待ち合わせしよう。

光が差したから、空を見上げた

 

空を見て、泣いたことがあるだろうか。

 

大我くんの歌を聴いて、歌っている大我くんを見て、泣いてしまうことがたまにある。

それと似ている。

すごくすごく遠い存在だと思っていたのに、事実そうであるのに見上げると寄り添ってくれる。だから、びっくりする。自分が受け取るか受け取らないかの選択をする前にスっと心の傍に寄り添われる。すごく、優しい。

柔らかくて、あたたかくて、強くて、泣きたくなるほど切なくて、優しい。

天使のような、神様のような、ヒーローのような、とにかく、すごい力を持っている。

 

わたしはちゃんとひとりの人間としてこの世界に存在していたいし、自分の力で自分を示したいから大我くんに縋ったりはしたくないけど、それでもわたしが歩く道の上には必ず空があって、上手く言えないけど、そんな感じ。わたしにとって大我くんの存在ってそんな感じ。

わたしは頑張って自分の道を進むけどやっぱり弱いから立ち止まって空を見上げちゃうことがある。そんな時にしっかり大我くんがいる。大我くんは見えないことが道標と言ったけど、今のわたしは見えない道を進むのはまだ怖いから、わたしにとって大我くんが道標なのかもしれない。

 

 

「夢見ることができるなら、あなたはそれを実現できる」

この言葉を見た時に、大我くんだ、と思った。

 

大我くんはよく、わたしたちに夢を話してくれる。何気ない日常で浮かんだ小さな夢や、ずっと考えてきた大きな夢。いろんな、いろんな夢があった。子供みたいなあどけない夢、大我くんの人生が詰まった覚悟の夢。

その夢の多くを大我くんは自分の手で叶えてきた。わたしは、夢のままで終わらない夢があることを知った。だから、大我くんが夢を話す度に、叶ってほしい、そしてわたしにもそのための力が1ミリでもあるなら叶えたいと思った。

 

「自分の夢を叶えるために6人で旅をしている」「SixTONESで諦めていた夢がどんどん叶った」と大我くんは話してくれた。大我くんにとってSixTONESは、アイドルという職業は、夢を叶える場所なんだと思った。

 

そして大我くんはあの日、まっすぐ未来の方を見て、丁寧に、「夢見た未来を叶えていく」と歌った。大我くんがステージに立ち続ける理由だと思った。大我くんがアイドルであり続ける、アイドルを選び続ける理由。

 

 

何かに出会う度に、これに出会わなかったわたしは、今のわたしよりひとつ、低いレベルにいたままだったのかなぁと考える。いや、それはそれでまた別の何かに出会ってるのかもしれない。

人生の中でわたしたちは常に選択をして生きている。朝 目覚ましがなった時、起きるか、起きないか。友達に誘われた時、行くか、行かないか。手を挙げるか、挙げないか。やるか、やらないか。やめるか、続けるか。

全てが2択ではないと思う。

パラレルワールド

ある本にあった「あの時、もしこうしていたらっていう選択肢の数だけ、平行世界の現実がある。」という話になんだか納得した。選択肢の数だけ、世界が存在するのだ。

あの日、大我くんに出会わなかったわたしは今日をどう過ごしているんだろう。

15年前の今日、大我くんはマイクを受け取り、ステージに立つという選択をした。あの日、ステージに立たなかった大我くんは今どこで、何をしているんだろう。

 

奇跡だと思う。無数の世界の中で、こうして出会えたことを、綺麗事なんかじゃなく本気で、奇跡だと思う。

 

「きっと世界は空で繋がってる」と歌った大我くんを見て、やっぱりそうだと思った。同じ空の下で大我くんが生きている。嘘みたいな、夢みたいな本当がここにあるんだからまだきっと希望はたくさんあると思えた。

 

 

大我くんには、自分のやりたいことを「これがやりたい」と言える強さがある。自分の好きなものを好きな時に「好きだ」と言える強さがある。そういうところがすごく好きで眩しくてこんな生き方をしたいと思った。

 

 

大我くんはきらきらしていて、大我くんの歌は、誰も置いていかない。暗闇でうずくまっている少年が、思わず顔を上げてしまうような輝きと、それに手を差し伸べる優しさを持った、そんな光だ。

大我くんの歌を聴いた時、そんな暗闇の中で差し込む1本の光に縋るように、大我くんに、導かれたいと思った。

 

 

デビュー曲のMVを初めて見て目を潤ませた大我くんを見て、めちゃくちゃ綺麗だと思った。この人の瞳にもっとたくさんの景色を見てほしいと思った。

 

自分の気持ちをあまり出さない大我くんが、「俺はデビューしたくない。本音ですけど」と語った時、ものすごい不安に襲われた。「自分たちの知らない自分たちになっていくのが怖い」。

大我くんが大我くんも知らないまま本当の大我くんが望んだ未来とは違う未来に進んでしまうことが、何よりも怖かった。

 

大我くんは大事なものは絶対に守る人だ。

 

 

 

 

 

 

 

「デビュー後の世界は想像していたよりも素敵だった。」

 

滅多に泣かない大我くんが、デビュー曲のMVを初めて見た時 目を潤ませたこと、デビュー曲を初めてファンの前で歌った日、涙で歌えなくなったこと、Jr.最後のライブで泣いたあと照れ隠しのような笑顔を見せてくれたこと。全部全部、忘れたくない。

 

「我を忘れず大きく育ってほしい」という願いを込められてつけられた「大我」。

自己紹介文には、

【将来の夢】自作曲を世に広めてliveをする。自分にとって美しい未来にする。

【ファンの皆さんへ一言】己の心を大事に今を生き続けるので、一緒に頑張りましょう。

と書いてあった。

ああ、「大我」くんだ、と思った。

大我くんはとても芯がある人で、そしてその芯がとても強い人だと思う。

 

「芸術とは抵抗することだ(意訳)」

マイクを握りしめて叫ぶ大我くんの姿を見ると、その言葉を思い出す。

そんな大我くんにはいつも自分のために歌っていてほしいなと思った。

 

こんなにも汚くて生きづらい世の中なのに、大我くんはまるでそんなの知らないみたいにいつもステージで輝いている。ありえない。

大我くんのきらきらした瞳を見る度、やっぱり諦めたくないしこの世界はまだ綺麗なものがたくさんあるしそういう景色がたくさん待ってると信じてしまう。何度絶望してもそう思えるのは他でもない大我くんのおかげでもあって。

 

 

 

 

大事なものほど複雑で難しい。

鋭くて儚くて、わからなくて、たまに怖いと思ってしまう。

でも、守りたい と思う。

 

 

ANNで、「おれ全然2世だよ」とさらりと言われた時、頭の中で時が止まった音がした。めちゃくちゃ呆気にとられて、そのあとの数秒何も聞こえなくなった。

 

大我くんは、天使だ。その翼でどこへにだって行けるから、行ってほしいと思う。でも、生まれつき、その翼は片方だけ折れている。飛んだと思ったら、しばらくして降りてきてしまう。そんなに遠くに行けない。

大我くんには生まれた時から、他の人にはない肩書きがあった。そしてそれは、大我くんが、人前に立つ人生を選択をした瞬間から、比べられる宿命に変わった。どれだけ頑張ろうと、頑張れば頑張るほど、遠くに行けば行くほど、自分自身を見てもらえなくなる。でも、大我くんはここで生きていくことを選び続けた。それがどれほど大きな覚悟か、わたしなんかじゃ測り知れない。

大我くんはもう、翼の折れた天使なんかじゃない。大我くんが証明してくれた。大我くんは何者にもなれる。どこへだって行ける。なんだってできる。

 

わたしの大我くんへの気持ちは日々更新されている。大我くんが同じ世界で生き続けていてくれるから。

それでも変わらないことがある。

 

見たことのない景色を見せてくれる人。

悩んで迷って傷付いて絶望して葛藤して信じてここまで歩いてきた大我くんのこと、その道の先にある夢のこと、全部応援したいし見届けたい。

 

大我くんが見たい景色を見れますように。大我くんのやりたいことができますように。大我くんの大事にしたいものがみんなから大事にされますように。大事なものが、もう離れていきませんように。ずっと傍にいてくれますように。大我くんの大切なものはみんなが守ってくれますように。大我くんの信じたものが大我くんの力になりますように。消えてしまいたいと思った夜がこれから何度も報われますように。ささやかな喜びと深くて大きな愛がいつも大我くんを包んでくれていますように。大我くんが今日も空を見上げていますように。大我くんが何にも縛られることなく大我くんの思うままに自由に生きられますように。

“描いた夢”が全部叶いますように

 

大我くんは感情をあまり表に出さない代わりにたくさんたくさん考えてる人だ。

「頑張ってね」じゃなくて、いつも、「一緒に強く生きましょう!」「頑張ろうね」と言ってくれる大我くんは間違いなくわたしの光です。

「これからも本気です。

みんなと生きるのに本気です。」

わたしも本気だよ。大我くんと、SixTONESと生きるのに本気です。

 

こんな世界でも夢を見ることを諦めないあなたを追いかけて、わたしも夢を見たいと思ってしまう。頑張ってみたいと思ってしまう。たくさんたくさん救われている。

 

「何も持たなくていいよ」と軽やかに歌う大我くんに、わたしは何も持たなくていいよ と思った。

わたしは、これからもずっとわたしのために大我くんを好きでいるから、大我くんにも自分のために生きてほしいと思う。自分のために歌ってほしいと思う。自分のためにステージに立ってほしいと思う。

 

 

何度でも言うけど、大我くんの歌が、何よりも1番に大我くんのためのものであることを願っている。

「僕にとって音楽は“自由”であり“救い”。歌っている時間は翼が生えて飛ぶほど楽しい!」

「たくさん捻くれてきたし、たくさん逃げ出そうとしたけど、その度に音楽が僕を引き止めてくれた」

文字通り命懸けで守ってきた自分の音楽に、大我くんも守られてほしいと思う。辛い時は音楽が味方をしてほしい。大我くんにとっての光はきっと音楽だ。

 

大我くんが、ひとつの好きを取りこぼさないよう、大事に大事にするように、わたしも大我くんへの気持ちをずっと大事にしたい。

 

 

きらきらした瞳を瞬かせて、気持ち良さそうに歌う大我くんを見ながら、息をするように不意に、この世界の全てだと思った。

目を閉じて、祈るように歌う大我くんを見るたび、これがずっと続くように、と祈ってしまう。

 

 

届かなくていいけど、思わないでほしい。生きている意味なんて、考えなくていい。

“知らなくていいけど、思いを詰め込んだんだ。この世界にきみがいるということが、どれだけ素晴らしいかという思いを。”

 

きっと全てが、偶然なんかじゃない。

そう、信じることにした。

 

きみは、だれも到底かなわない綺麗で特別なひと。

 

わたしは今日も、光を浴びて、空を見上げる。そして息をするよ。

祈り

ずっとずっと思っていることがある。いつからか分からないけど。でもたぶん、好きで大切でかけがえのないものだと思った日から。

祈りのようなものなんだと思う。

ずっとずっと綺麗でいてほしい。

幸せでいてほしいとか元気でいてほしいとかもちろん思ってる。でもそれよりももっと大きくて強い気持ちで思ってしまっていることがある。

ずっと綺麗でいてほしい。

何年、何十年経ってもずーっと。ほんとにずっと。死ぬまで。ううん、例え死んでもずっと、永遠に。絶対に消えないでほしい。眩しいくらいの輝きでいてほしい。そしたら何度だってまた見つけられるから。

最初に見つけたときもそうだった。チカチカと光っていた。綺麗だった。踏み込むと、もっと綺麗だった。驚くほどに。なぜ今までこの輝きに気づけなかったのだろうと何度も思った。

 

たまに怖いくらいに綺麗だと感じる瞬間がある。本当に怖い。

冗談とかふざけているとかじゃなく、翼が見える。眩しいくらいの白で大きくて強い自由の翼。きっと君が望めばどこへだって行けてしまう翼。

だから、怖い。仕方なくここにいてくれてるような気さえしてしまう。

 

可愛いとかかっこいいとか愛しいとか、たくさん思う。わたしのこの感情たちは全て君のためにあると信じて疑わないほど、強く何度も。

そしてふと、綺麗だ と思う。

その気持ちは、何よりも強く芯が通っている。

泣きたいくらいに綺麗。ほんとにどこかへ行っちゃいそう。綺麗だよ、綺麗。ほんとうに。何十回、何百回唱えるように、呟いてしまうくらい、綺麗。

 

絶対に届かない。でもそれでいい。それがいい。焼き付いて離れないその姿を過去にしたくない。ずっとずーっと綺麗でいて。何よりも綺麗な君でいて。絶対に忘れないように。どこにいても見つけられるように。

 

この世界がどこまで汚れても、君だけは、君だけは絶対に綺麗なままでいて。君が、変わってしまってもいい。わたしが好きだった君じゃなくなってもいい。

ただ、ずっと、ずっと綺麗でいてよ。

それだけは変わらないで。

始まりがあったから訪れるもの

 

終わることのない夢を見たい。

 

 

「ああ、とっても好きだ」と感じた。そう思うきっかけになる出来事が何かあったわけでもなく。

そしてそう思えることがすごく幸せだと、

ずっとこのままでいたいなぁ、と同時に強く思った。

 

でもそうもいかないことを知っている。

 

「自分にとって一番が変わってしまうのはとっても怖いことだけど、変わらないものなんてないから、人は成長していくものだから、人の気持ちは変わりゆくものだから 仕方がないことなんだ」

と父と話したことがあった。

そして、「仕方のないこと」だと納得するようにした。

今好きな人を、これから何十年先もずっと好きでいたいし、そうであること信じているけど、きっとそうもいかないこともあるのだろう。

それがすごくつらいと思った。信じたいだけなのに。こんなに確信に近い気持ちでもう確実と言ってもいいはずなのに。それが変わってしまうのか?と考えるとすごく怖いと思った。

 

いつかは終わりがきてしまう。

きてほしくないけど、きてしまう。

この「終わり」は一番最悪な場合でいうと「死」のことであるし、他にも「解散」「引退」、そして今まさに自分の胸に溢れているこの大きな「好きな気持ち」でもある。

 

わたしは今、猛烈にその「終わり」がくることを恐れている。

別にそれに繋がる何かがあったわけじゃない。

「終わり」は何の予兆もなく、突然やってくるものなのだ。

だからこんなにも恐れている。

まだこないで、まだこないで。できればわたしが死ぬまでこないで。ずっと続いていて。

まだ大好きだから終わらないでほしいと願う毎日。

「好き」の気持ちはいつだってこんな気持ちと背中合わせだったっけ?

そんなはずなかったんだけどなぁ。でも知ってしまった。

 

「終わり」をいつだって信じたくない。

でも始まりがあるから終わりがあるのだ。その逆で、終わりがあるから、始まりがあるとも言える。

ああ、世の中はそういうふうにできているんだと勝手になんとなく納得した。

 

全て間違いないものだった。どれもわたしにとっての一番だった。全て本物だった。

全てわたしを変えてくれた。いつだって魔法だった。

なくなると魔法が解けたように、同じものも全く違く見えてしまう。こんなことがあるのかと、驚いてしまう。

でも本物だった。今じゃ嘘のようだけど全部確かに本物だったのだ。

その証拠に、それら全部ひとつひとつが今のわたしに繋がり、今のわたしを作る欠片になっている。

 

 

どうしたらいいのか、と考えてしまう癖がある。

この胸に渦巻く複雑な気持ちを、どうにか理屈をつけて無理矢理納得させて鎮めようとしている、このざわめきをどうにかしたい、と思っている。

 

大好きであたたかくて守りたくていつだって照らしてくれる幸せと彼らがずっと続いていくように。

「好きだ」と思う度に、同時に、「どうかこの気持ちがずっと変わらず続いて、

明日も明後日も一年後も十年後もおばあちゃんになっても同じ気持ちでいられるように」と涙を流してしまうくらい強く願うようになってしまった。

 

ずっと覚えていたいんだ。この気持ちをわたしはずっと忘れたくない。

ずっと大事にしたい。

いつだって間違いなかったこの気持ちを、嘘のなかった気持ちを。

絶対にわたしはなかったことになんてしたくない。絶対にしない。そんなこと。

 

全部大切で全部幸せだった。

知らないことを、知らない気持ちをたくさん知った。

たくさん夢を見た。

とっても素敵で幸せだった。

 

 

今日だって、たまらないほど好きな人がいて、誰よりも幸せになってほしい人がいる。

信じたい未来がある。見てみたい世界がある。

応援したい人がいる。叶えたい夢がある。

 

 

全て無駄じゃない。

そんな軌跡をこんなふうに残すことくらいしか、今のわたしには方法がないけれど、確かだったものを確かな形で残していきたい。

 

いつか忘れても思い出せるように。

抱きしめていられるように。

そして、全部未来に持っていけるように。

 

 

 

これまでも、これからもきっと間違いないから、

 

その日がくるまで、大事にしよう。

嘘のない気持ちを

こんなことを彼の誕生日の次の日に書くことはナンセンスなんだろうと思う。

そもそもこんなことを書く必要があるか、目に入るところに残すべきなのかと問われると、きっとそれはNOだと思う。

 

でも本当に書き残したいと思った時にそれができなくなってしまうのは嫌だから、この機に、思った時に行動しておこう、と。

 

無秩序で拙い文章だけれども、大事なことは伝えた方がいいとあなたから学んだので。

 

いつも通りメモをスクリーンショットして載せるつもりだったけど、かなり今の自分にしかわからない感覚たちが多いような気がして、やめた。

 

自分の中で覚えていたいこと、残していたいことを残す場所が欲しかったので、ちょうどいいかな、と。

ついでに新しいことを始めてみよう、と。

 

 

 

大人になるにつれて、以前はわからなかった、理解出来なかった感情や感覚が、わかるようになっていることを最近ものすごく実感する。

それは悪いことの時が大半で、でも時々いいことも。

わかりたくなかった、どこかで自分とは無縁だと感じていた感情や感覚が身に染みてわかるというのはすごく変な感じだ。

数日前まで「わけわかんない」と少し小馬鹿にするように見ていたことが、自分の身に起きるのだから。

 

 

わからない方が幸せだったことも多い。

でもそれでも、わかった方がいいのかもしれない。

それもわからないから、それと上手く付き合っていくことが大人になるということならば、誰かその方法を教えてほしい。

 

ここに書いていることもきっと半年前の自分が読んだらほとんど理解できないだろうな、と思う。

少し前の自分ですら理解出来ないのに、他人が読んでこの全てを理解してくれるわけがない、と思う。

 

でもこれは嘘のない気持ちです。

だから、「理解してほしい」わけじゃない、「知ってほしい」「読んでほしい」。

 

これを見てくれる人は彼を通して出会った大切な人達だから。

 

ただそれだけです。

 

 

わたしは、誰かひとりの手の届かないとわかっている人間を他人事じゃないくらいの気持ちで追いかけるということも、理解出来なかった。

 

彼を知らない十数年間、わたしは何に希望を持って生きてきたんだろう、と自分のことなのに全然わからなくて思い出せないほどに、あなたに夢中でした。

 

あなたを知った日から毎日がきらきらしてて、初めての気持ちばかりで、新鮮なことだらけで、そんな日常が嬉しかった。

 

好きになったことに誇りを持った。

 

降りる人を目にすることもあった。

でもその度に、なんだか可哀想だな、と他人事だった。

 

自分の将来に確信なんかほとんどなかったけど、きっとあなたのことは、これから何十年だって応援していると、それだけは確信していた。

 

憧れで、大好きでたまらなくて、あなたの持っている物も癖も全部真似したかった。

 

話す話題もあなたの事ばかりになって、口を開けばまふまふだねぇって笑われた。でもそれが嬉しかった。

でも、なんかそういうのっていいなって言われて、なんだか優越感。

 

またあなたを好きなことに誇りを持った。

 

 

もっと早く知りたかったという後悔。

歌や言葉を聴いている時の感動。

「今日も好きだ」という気持ち。

彼を傷つけようとするものへの怒り。

 

あなたがもしこの世界からいなくなった時のことを想像して、勝手に苦しくなって涙を流した日もあった。

 

そのくらい、きっと全ての感情をあなたに使っていたし、それがわたしの幸せでした。

 

あなたのことを好きな自分が好きで、この人のことを好きじゃない自分なんて自分じゃない。

そう思うくらいあなたの存在はわたしにとって大きなものでした。

 

 

 

 

いつからか、何がきっかけかはわからない。

 

この話を友人にした時、「いつの間にか骨折だよ、それ。」と言われた。

わたしはあまり深く考えずに「そうだね、」と笑った。

 

でも、本当にそうなのかもしれない、いや、きっとそうだ。

 

最初は、走るのが楽しかった。

ただ真っ直ぐ走り続けていた。

いつしかそれが当たり前に、当たり前じゃないといけないと思っていた。

本当は、自分が抱えてる違和感に気づいていた。気づいているのに、気づかないフリをして、走り続けてしまっていた。

気づかないフリができるくらいの小さな違和感だった。

止まってはいけないと勝手に思い込んで。

そしたら少しずつ、少しずつ、押さえつけられて、壊れていっていつの間にか、走るのが難しくなってしまっていた。

 

だから、休息が必要だった。

 

「好き」から起こる行動が義務化していた。

 

「こうしなきゃ」になっていた。

誰が決めたわけでないのに。

そうして、楽しくただ真っ直ぐ彼を応援することができなくなっていた。

 

 

そんな時、

わたしに感動をくれる素敵な他の世界があることをわたしは知った。

知らない世界があることを知った。

 

新しくこの人を強く応援したいと思える人もできた。

そしてその人でいっぱいの毎日がきた。

 

自分の中で本気で応援したいと、本気で好きだと思える人間がひとりじゃないことに少し嫌悪感を覚えながら。

 

 

いつの間にか、あなたの声を、音楽をあまり聴かなくなっていた。

それでも平気な自分がいることに驚いた。

 

だめな気がした。

これじゃあ穴埋めみたいじゃないか。

 

 

あれだけ信じていた自分の気持ちがこんなふうに揺らいでいることが怖くて許せなかった。

わたしが口にしていた「ずっと」がずっとにならない瞬間を見た気がしてきて、だめだと思った。

 

これを繰り返していくのかと思うと、どうしようもなく嫌だった。

終わりにした方がいいのか、そんなことも過った。

 

そんな複雑な気持ちを持ちながら、新しく応援したい人を追いかけていた。

 

 

そんな時、久しぶりにあなたの歌を聴いた。

いつもとは違う目線であなたを見ることが出来ていた気がする。

でも、それでも、わたしはその瞬間からまたあなたでいっぱいになった。

 

やっぱり好きだった。

あなたの作る歌が、世界が、言葉が、どうしても好きだった。

 

あなたのことでまた、熱くなれる自分がいた。

少し安心した。

 

 

ちゃんと、好きだ。

 

 

勝手に線引きをして、「こうじゃなきゃ」に縛られていた。

線を越えそうになっている自分を止めたくて、無理をして、自分の気持ちに嘘をつこうとしていた。

 

「好き」の気持ちに嘘は要らないと思った。

 

難しいことを考えなくても、好きや応援したいの気持ちは、それだけで十分素敵だから、それを無理矢理なくす必要も決してないと思った。

 

確かな好きが一個じゃなきゃいけないなんてことないと思う。

応援したい相手がひとりじゃないといけないなんてこともないと思う。

 

だってこの世界にはまだ知らない世界が広がっていて、たくさんの素敵な世界が転がっている。

 

少し離れて、気づけた。

今思えば、あの頃のわたしは少し、視野が狭くなっていたのかもしれない。

 

正しいことなんてわからない。

でもこうじゃなきゃいけないなんてことも決してない。

 

その上でわたしは、

 

「好きじゃなきゃ」じゃなくて、「好きだ」と思える自分でいたい。

 

「応援しなきゃ」じゃなくて、「応援したい」と思える自分でいたい。

 

たくさん考えた。

今の確かな、嘘のない気持ちを大事にしたい。

 

思えば、彼を通してたくさんのことを知り、たくさんの大切な人に出会った。

 

推し方が好きだよなんてこの上なく嬉しい言葉をもらうこともあった。

 

これからも自分なりに。

 

 

2019年10月18日

たくさんのものを与えてくれたあなたへ

 

お誕生日おめでとうございます。

 

「死にたい」と口癖のように嘆いていた1人の青年がなかったはずの人生の上で東京ドームに立つという夢を限りなく確かなものに近づけた。

あなたは最高にかっこいい。

 

やっぱり好きです。

 

 

わたしは、今日もあなたを応援したい