桃色の少女 消滅する乙女

 

少女と永遠は共存できないのかもしれない。

でも絶対に乙女心に罪はない。

 

「本当に、わたしの全てなので  みんなが。」

今日まで隣に立ってきたメンバー全員を見渡して、涙を拭いながらはっきりと言ったこの言葉がこの子の卒業の意味なんだなと思った。

 

桃奈のことを思い出すと、というか「桃奈」という単語を聞くだけで体の力がゆるゆるになって液体みたいにびちゃびちゃになっていくような、そんな感覚を体験してる。簡単に言うと、つまりはわたしは桃奈の亡霊なんですね。不意に桃奈を思い出しては、「桃奈〜〜〜〜〜〜〜〜;;;;;;」って泣き出してしまいそうなそんなオタクなのですが。

先日、桃奈が夢に出てきました。すっごくすっごくかっこよくって。堂々としてて。桃色を纏って桃色に囲まれた桃奈。大きな身振りのダンス。きらきらな笑顔。わたしが見てきたもの。大好きなところ。夢の中でも桃奈はアイドルでした。わたしの夢の中にもわたしが見てきた桃奈はしっかりといて。そしてもう見ることのできないわたしの記憶を繋いだ橋の先にいる桃奈がわたしの夢となって出てきたような、そんな光景だった。

 

桃奈のことを知らない友人に「桃奈っていうアイドルの子が好きで、」って話した時、「“桃奈”って、すごい。アイドルになるためにつけられたみたいな名前だね 」って言われて、たしかに!と思った。そこからわたしは「桃奈」と口にするのが大好きになった。桃奈はすごく誇り高いアイドルだと思う。立ち姿から伝わってくる。

 

 

 

 

 

卒業とか、休止とか、脱退とか、解散とか、真っ白な紙に活字で打ち込まれた文章のあの独特な冷たさと定型文が本当に苦手だ。怖くなってなかなか読めない。

 

卒業については昨年末に話があり、
今年に入って具体的に進めていきました。
アンジュルムハロー!プロジェクトで活動していくうちにたどり着いた、
海外に身を置き歌とダンスを勉強したいという新しい目標。
本人の覚悟と決断は相当なものだと思います。
笠原の新たなチャレンジをメンバー、そしてスタッフ一同、応援したいと思っています。

 

私にとって、アンジュルムがなによりも今の人生の全てです。
大切で、大好きで、アンジュルムがなければ今の私は存在しません。
だからこそ、十代で離れる決断をしました。

 

桃奈は18歳で卒業をした。

桃奈の卒業文は読みたいと思った。読まなければならないと思った。読み終わったあと、なんだか言葉にできない感情が胸を包んだ。悲しいでもなく、嬉しいでもなく。ああ、桃奈は飛び立とうとしてるんだな と思った。

 

 

背中を合わせて涙が止まらなくて歌えなくなるメンバーの反対側で真っ直ぐファンの方を向いて笑顔で歌う桃奈を見た時、この子はなんて強い子なんだろうと思った。

桃奈が見送る側だった卒業公演。リーダーや先輩メンバーが下を向いて泣きながら歌う中、自分を落ち着かせるようにゆっくり胸を叩いて、ふっと前を向いた桃奈の頬に涙はなかった。しっかりした優しい笑顔を卒業するメンバーに向けて歌った。あの時、自分の胸を叩いた桃奈はどんなことを考えていたんだろう。

 

 

知れば知るほど、なんて大人っぽい子なんだろうと驚いた。なのに笑った顔は赤ちゃんのようにあどけなくて。いろんな表情を見る度にそんな表情をするのか と驚く。初めて見るものだった。わたしは桃奈に出会って初めて、本当の意味で少女の顔を知ったのだと思う。

なんてあどけなくて、なんて大人っぽくて、なんて愛しくて、なんて可愛らしくて、なんて寂しくて、なんて儚いんだろう。

桃奈はふと、誰にも出来ない表情をする。ほんの一瞬。簡単に見逃せる程の一瞬。パフォーマンス中というよりも普段の桃奈の方がそういう時が多いように感じる。それを見た瞬間、なんだかぎゅっと胸が苦しくなった。

桃奈は子供でいることに拘る。

「わたしは永遠の子供」

「考え方も...情熱とか、あと欲張りすぎるところも全部子供で」

桃奈は永遠の子供。嘘だね  桃奈はわたしよりずっとずっと大人だし、かっこいい。

でも桃奈の、何を見ているのか  何を考えているのか わからないあのふとした瞬間の表情を思い出した時、あの表情は子供の桃奈にしかできないのかな と思った。

桃奈は愛が大きくて本当に立派な子だと思う。桃奈を見るたび、眩しくてこんなふうになりたいと思う。

 

「まだもう少し子供でいたいなぁ」と呟く桃奈はどんな景色を知ったんだろう。どんな瞬間を愛おしいと思うんだろう。どんな感覚を忘れたくないんだろう。何を失いたくないんだろう。

子供でいたいけど、成長は待ってくれない。時間は待ってくれない。不意に目を落とした自分の影はどんどん大きくなるし、周りの自分への扱いは変わっていく。何かに夢中になるのに邪魔する要素が多くなる。純粋なやりたいや楽しいの気持ちで動けていたことに損とか得とか数値化できるような幸せが纏わりついてきて目が逸らせなくなる。永遠のように感じた時間もやがて終わりがくることを知り、いつからか何かを始める時にはもう既に終わりのことばかりを考えてしまうようになる。あの時感じた幸せは埃を被って色褪せてしまう。

 

 

女の子のアイドルに触れた時、なんでこの子たちは卒業するんだろうと思った。この子いいな、と思って調べたらもう卒業していた なんて体験は日常茶飯事だ。なんで卒業しなきゃいけないんだろうと思った。女の子はなんでこんなにもお別れを経験しなければいけないんだろう。なんで新しい道に進まなければいけないんだろう。なんで愛したものから離れなければならないんだろう。頑張って頑張って、人生を捧げてきたものを捨てなきゃならないんだろう。

なんで女の子は、ずっとアイドルでいられないんだろう。

消耗品のようで、永遠なんてないことの象徴のようで、賞味期限がきたらもう要らないよってされているようで、すごくかなしかった。

 

女の子のアイドルは本当に綺麗な時に卒業する。卒業する時に、「本当に綺麗で可愛くなったね」ってみんなが言う。本当に自然と、心から思う。そのことがなんて残酷で、なんて美しいんだろうと思う。熟れた果物みたいに綺麗で仄かな染まり。刹那。なんて破滅的な。乙女の消滅はいつだって。

 

 

初めて女の子のアイドルに心を動かされた日。

テレビで歌って踊るその姿を見て、今まで出会ったことのない胸の熱さに驚いて、気づいたら熱い涙が頬を伝っていた。

わたしが会いたかった女の子。わたしが求めていた女の子。わたしがなりたい女の子。

汗でおでこに張りついた前髪。笑顔よりずっと多い表情。漂う張り詰めた空気。魅せられる興奮。

ここにいたんだ と思った。わたしは闘う乙女を手に入れた。本当に満足だった。

 

 

具体的なことを並べると、「たかがそんなこと」と何も考えてない人に鼻で笑われるのが本当に嫌なのでここでは控えますが、いつだってわたしたちは消費される側なのかなぁ。

そんな風に思ってしまう日が増えたのは確かで。

 

女の子 であること。それが日に日にわたしの呼吸を浅くさせた。どこからか感じる手のひらの中に収まっていなさいという圧。

女の子 の価値を下げられている感覚

簡単で軽率だと思われている感覚

弱くて薄っぺらいと思われている感覚

どこまで行っても消えなかった。

 

だんだん、だんだん、女の子の綺麗な部分を自分で信じなくなってしまった。

 

 

 

 

 

アンジュルムを初めて見た時、なんて騒がしいグループなんだ!と思った。所謂“女の子らしさ”はどこにもなくて、そこにあったのは一人ひとりの強い“人間らしさ”だった。アンジュルムに出会ってわたしは1人の人間としての自由をもらった。嬉しい時は叫んでいいし、許せない時も叫んでいい。全力で歌って、全力で踊って、全力で笑って、全力で喋って、全力で叫んで、全力でふざけて、全力で愛す。時に勢いがすごすぎてハロプロのはみ出しものなんて言われるが、わたしはそんなふうに言われるアンジュルムが大好きだ。でもそもそもアンジュルムは周りがどうとか関係ない。何か言われるなんて気にしない。そんな小さな生き方をしない。アンジュルムは全部が全力だ。全力で自由をしていた。

 

新メンバーが加わり、新体制になることが決まっても、その度に全力で喜んで全力で迎え入れるアンジュルム。本当にあったかくて、元気で、大好きだ。だからいつの時代のアンジュルムも大好きだ。卒業していったメンバーも加入したばかりのメンバーも、本当に大切で全員がアンジュルムだ。こちら側の不安なんて一瞬で吹き飛ばすパワーを持っていて、見てるとこっちまで大きな声で笑ってしまうような大きな幸せをくれるアンジュルムは全てが世界でいちばんの女の子たちだ。

 

アンジュルムを見ているとメンバー全員が本気でアンジュルムを好きだという気持ちがびりびりと伝わってくる。そして共通する思いは、アンジュルムが自分の居場所だから守りたい ではなく、アンジュルムが大好きだから守りたい。アンジュルムを愛しているから守りたい。なんかもうただの好きー!とかじゃなく、戦闘態勢の好きなんですよね。身を燃やす覚悟でアンジュルムにいる。邪魔するやつは全部蹴散らすぞってギラギラした目でこっちを見てくるアンジュルムが最高で好きだ。

 

 

 

「大袈裟かもしれないけど私は、空が綺麗なのも海が好きなのも美味しいご飯が美味しいのも、アンジュルムのみんながいるからです。」

17歳の夏を切り取った写真集に桃奈が書いた言葉だ。この言葉を見て、無性に泣きたくなった。

 

アンジュルムには嘘がどこにもなくて、不器用で全力で、とにかく愛に溢れたそんな真っ直ぐで大きな思いがある。一分一秒をその胸に刻み込むように生きるアンジュルムを見ると、そんな姿が少しだけ切なくて泣いてしまう。永遠を、あげたい。

 

アンジュルムのメンバーの濃く長く跳ね上がったアイラインやダークな色で染められた瞼やギラギラと反射するラメを見る度に あ〜〜女でよかったって思える。貴方も好きなように生きなさいと背中を叩かれたような気持ちになれる。誇り高く生きようと自信を持てる。

長い髪をバッサリ切った桃奈が、真っ赤なリップをつけた桃奈がわたしを強くさせてくれる。

 

桃奈は、そしてアンジュルム

わたしに、女の子は、1人の人間は、強くて、美しくて、尊ぶべき存在であると証明してくれた。

本当に心から、女の子でよかった と思った。じんわり、胸の中に広がって、二本足でしっかり立って大声で叫ばせてくれた説得力のある思い。

女の子でよかった。

 

 

 

 

涙が止まらないのに幸せで、さみしくてたまらないのに愛おしい気持ちに溢れてて。そんな、強いのにどこまでも優しい陽の光を浴びたような時間は、刹那的なあの時間は簡単には作れない。

「可愛い可愛いかっさーちゃん、幸せになってね」とメンバーが泣きながら読んだ手紙が本当に全てで。ああ こんなにも誰かに幸せを願われる子が、女の子で、まだたった18歳でいることに、すごく救われた自分がいた。

 

【18歳の抱負】好きなもの大切なものを見失わない、自分が愛されている事を忘れない。

 

「あと後輩の笠原桃奈ちゃんも尊敬しています。本当にいい関係です! 桃奈って本当にいい人で、人を否定しないんです。人のいいところが見えすぎているからか自分に自信がないみたいなんですが、まったく腐っていなくてポジティブなところがめちゃめちゃ人間として輝いているなって思います。ネガティブをポジティブに変えられる人なんです。相談にものってもらうし、卒業した今でも連絡を取り合っています。全然変わっていないですよ!」

 

“新しい道が見え始めた  だけど君は別の道を選んだ

もったいないけど確かに君らしいね”

 

今日もどこかで桃奈が生きている。自分の足で、歩いている。空を見上げている。それだけで、背中を押された気持ちになれる。

 

 

可愛いものにしか動かない心がある。女の子にしかない特権。可愛いものを見た時の胸の高鳴り、ときめき。いつまでたってもあってほしいと思う。

 

守りたいもののためにはたたかっていい。立ち上がって、自分の声で叫んでいい。時には飛び出したっていい。1人の人間として生きていい。自由に生きていい。

 

桃色は弱さなんかじゃない。ただの可愛いじゃない。

強くて、誇り高くて、大きな愛の、永遠の証明だ。

 

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